「紳一!」
「明美!!・・・どういうことだ」
「えへへ、来ちゃった」
「"来ちゃった" って、仕事はどうした?」
「今日は、臨時有休」
「・・・臨時って何だ臨時って。まったく、羨ましい仕事だな」
「あたしから内線かかってきて、びっくりした?」
「・・口から心臓が出るかと思ったぞ」
明美は、何事も思いつくとそのままにしておけない人間であった。
だから今日、早速K電産に来た。
工場併設の大手メーカーでは大抵、
機密事項(商品も生産方法も、図面や使用部品に至るまですべて)を大量に取り扱っているので
来客者が入り込めるスペースが著しく制限されている。セキュリティも過剰なくらいに厳重だ。
これはK電産も、例外ではない。
・・故に明美は、来客スペースがある本館の1Fに
内線電話で紳一を呼びだしたのであった。
K電産の大口の取引先のW自動車に勤務する明美でも、
設計室まではとてもじゃないが入ることが許されていない。
「一体、何の用だ」
「会社見学、って言ったら?」
「・・俺は今日、忙しい。見学会はまた後日にしてくれ」
「じゃあ、紳一が忙しくない日っていつよ?そんな日10年に1度でも、あるの?」
「む」
あの”髪の毛”のことが気になってしまった明美は
紳一が所属するK電産のバスケチームのホームページで
選手に監督、マネージャー、チアガールに至るまで全員のプロフィールと顔写真をチェックした。
(何度か試合も直接見に行ったことがあったが)
・・・だが、何も感じなかった。
恐らくバスケチームには、何も無い。
そうなると残る可能性は1つ。
明美は、自分の勘と推理に自信を持っていた。
紳一に何かあるとすれば、それは彼が1日の長い時間を過ごす場所・・・
つまり、K電産内に違いない。
バスケと仕事場以外・・彼にはとにかく時間が無さすぎるのだ。
趣味も、サーフィンのみ。そこにも、きっと何も無い。
(おまけに、忙しすぎてここ1年で数回しか行けていないようだ)
そして本日、抜き打ちで乗り込んだK電産潜入・・・。
本当ならば紳一が在籍しているA号館14Fの、エンジン生産技術部の設計室に
ダイレクトに行くことができれば、すぐに白黒はっきり・・あれば黒の物証もしっかり
キャッチできる自信があるのだが(明美は所属部署・関連部署が臭うと踏んでいる)
・・・残念ながらそれは叶わないので
それならばと、思い立ったら吉日、とりあえずK電産に来た。
(どんな小さなキッカケでもいい。何かがわかれば。
絶対K電産に、紳一の部署に何かがある・・・誰かが、いる!)
女の勘。それは偉大だ。どんな優秀な警察犬よりも鼻が利く。
『勘なんて言うのは非論理的で子ども染みた推理』と、
月9の”ガリレオ”で福山雅治が言っていた。
だが、安室奈美恵が”Put 'Em Up”で歌っている!!
『この世で一番スルドイもの 女の勘をあざむくのは不可能』 と。
明美も、そう思っている。
女の勘は、間違いないのだ。
「とりあえずお昼食べるのに付き合って」
「何だって?」
「もう食べた?」
「いやまだだが」
「じゃあ、カフェテリアに行きたい。なかなかお洒落っぽいじゃない?」
ここに来る前に見た併設のカフェテリアが気になっていた。
「いい気なものだな。だが・・あそこなら外来者も入れるし・・まぁ、いいとするか」
「・・やったぁ!行きましょ」
腕を組もうとした明美の手を
「馬鹿か」と照れたような、呆れたような様子で紳一が振り払う。
そうだ、ここは会社だった。
明美は、自分があれだけ”髪の毛”を気にして会社まで押し掛けて来たと言うのに
当初の目的を忘れかけていた。
目の前の紳一の顔や様子を見て、一時的に忘れてしまったのだ。
牧紳一・・・。
こんなにも実直で、言葉と行動が一致した人間は明美の人生に置いて初めてだった。
明美は、お嬢様なりに人間も男も知っていると自負している。
そして、恐らく女性をそんなに知らず、
純朴で他人を疑う事も、自分自身を隠すことも不器用な紳一。
・・こういう人間だからこそ、旦那にしたいと思った。
お見合話が持ち上がった時は、今世紀最大のラッキーだと思った。
それなのに。
そんな紳一が、自分に初めて大きな隠し事を・・・
一体何故。
・・・しかしその疑惑さえも、こうして紳一を見ていると馬鹿馬鹿しく思えてくる。
こんな(外見と違い)可愛らしく堅物な人間に、浮気などできるだろうか?
いや、とてもじゃないができないだろう。
(だけどそうなるとやっぱり、あの髪の毛は一体・・・)
明美は、少し前を大股で歩く紳一の背中を追いながら、
また疑念ループに脳内を占拠され始めていた。
と、・・前を行く紳一が突然立ち止まったので
考え事をしていた明美はそれに気付かず
紳一の広い背中に、大層な勢いで顔をぶつけた。
「きゃ!!ちょ・・・ちょっと紳一!!突然何なのよ!!もうっ・・・・!!」
ジャケットにファンデーションがついたじゃない!!きゃっ、口紅も・・・!!
――そんな明美の抗議の声にもまったく反応もせず
紳一は一点を見つめて、立ちつくしたままだ。
「聞いてるの!?紳一!?」
「・・・・・・・・・・・」
「・・え?あれ、何・・?」
紳一が見ている先に。
たくさんの人がせわしく待ち合わせや行き来をする、来客スペースのこのメインフロアに置いて
時間が止まってしまっている人間がいるようだ。
と言うのも・・濃紺のスーツの人物が、ソファに寝っ転がっているのだ。
小さく丸まってはいるが・・・どうやら大胆にも、眠っているようだ。
しかも、受付嬢たちが次々訪れる来客者の相手をしている、メインカウンターのド真ん前。
周りの人々が、ちらちらとそれを気にしたり、そわそわと遠巻きに眺めたりしている。
だが、当の転がっている本人は、それらにまったく気付く気配がない。
「あいつめ・・・!!」
紳一が ちっ と、舌打ちをした。
と、思ったら、いきなりソファで転がっている人物のところへ
取り巻きの輪を切り崩して、強引に入っていった。
そして。
その人物の小さな頭を、結構な勢いで張り手した。
「この、馬鹿がっ・・おまえ、こんなところで寝てんじゃねえ!」
そう言いながらその人物の肩を掴んで身体を起こし、激しく揺り動かす。
・・周りの人間たちは、紳一の鬼気迫る様子に二、三歩後ずさった。
そして紳一によって無理矢理座らされた人物が
ぱか と唐突に目を開けた。
明美は、驚いた。
その人物は、明美が幼い頃にお気に入りだった
フランス製の人形に酷似していた。
童顔に白い肌、瞳が大きく、睫毛が異常に長い。
・・・随分と幼く見えるこの人物だが、スーツを着ているし紳一の同僚だろうか?
一方の紳一は、相変わらず激したままだ。
「おい!聞こえとるのか?あ?」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「・・!!寝てんじゃねえ!!起きんか!!」
・・・どれだけ乱暴に揺すられようと、また寝ようとするのを見て
紳一はまた一つ舌打ちをしてから、大股で近くの自動販売機に向かった。
取り巻きの人間たちが、恐々と道を開ける。
・・彼はすぐに青い小さな缶を持って帰ってきた。
コーヒーのようだ。
「どうせガス欠だろ、カフェイン中毒め。それ飲んでさっさと目を醒ませ」
「・・・・・・・・・・・・・」
「・・だー!!どんだけパワーないんだおまえは!?」
握らされたコーヒーを両手で持ったまま
大きな目を開けているのがやっと、の様子で固まっている人形。
「ったく、手のかかる・・・」
・・紳一は自分が渡した缶をひったくり、ご丁寧にプルトップを開け
人形の口元までそれを持っていって・・・飲ませだした。
ひとくち、また、ひとくち・・・。
・・・次第に、今まで一点を凝視していた人形の眼球が、あたりをゆっくりと見渡し始めた。
そしてゆっくり、ゆっくり数回瞬きをする。焦点があっていない。
コンピューターで言うと、まるで立ち上げの最中のように。
人形が、自分の置かれた状況が解っていないかのように少し小首をかしげた。
・・そんな人形の様子を見て、紳一が柔らかく微笑んだ。
明美が、初めて見る紳一の表情――。
「おまえあんまり、心配かけるな・・・」
言葉とは裏腹、紳一は優しい仕草で
その人形のスーツのジャケットの埃を大きな手で払ってやると
今度は静電気で乱れていた髪の毛を、撫でつけ始めた。
自分は、背中にファンデーションと口紅をつけているのにも気付かずに・・。
(あ、あの髪の毛――)
若干長めの、ショートカット。色はアッシュ。
つるつると滑るだろう手触りに、透けてしまいそうな色素をしている。
女性のものなのか、男性のものなのか、あの時はわからなかったが・・・。
今なら解る。
美しすぎる、男性のものだったのだ、と。綺麗だった。
「あっっ!!良かった~!見つかったぁ!!」
・・・そこへ、穏やかな空気を吹き飛ばす様に
いかにも人が良さそうな好青年が、慌ただしく走ってきた。
「・・藤真さん、こんなところにいたんですね!!探しましたよ、もうっ」
「伊藤!!」
「あっ、牧さんもご一緒だったんですか!?」
「・・・この野郎!!”ご一緒ですか!?”じゃねえ!!」
なんと伊藤と呼んだ青年に紳一は、
周りに打撃音が聞こえる程の容赦ないげんこつを振り下ろした。
「つー・・・痛っー!!!!牧さん!?何でですか!!??」
「何で、だと!?こいつから目を離すんじゃねえって、日頃から散々言ってんだろ!!」
「だけどさっきは俺トイレ行ってて、で、外で待ってるって藤真さん言ってたのに
出たら・・いなくなってたんですよぉ・・・!!」
「言い訳すんな!!」
「言い訳じゃなくて、事実なんですけど」
「この際、どっちでもいい!!
おまえが藤真から目を離したことに違いないんだからな」
「目を離すなって・・
藤真さんは子どもではありません。俺の上司ですよ!」
「ああ!おまえの、最高に優秀だが最悪に手のかかる上司だ。
だから信頼のおけるおまえに女房役とでも言うのか、
秘書的な役割を任せているというのに。
・・今もこいつは、ここで人目も憚(はばか)らず眠りこけていたんだぞ!?」
「ふっ、藤真さん何故こんなところで!?ダメじゃないですかぁ!!
あ・・昨夜、清田の勉強に付き合って徹夜したみたいだから・・!?」
「そうだったのか・・検定試験は、今週末だったか?」
「はい・・頑張り過ぎなんですよ・・藤真さんは。自分の仕事だけでも激務なのに」
「・・いつも言っているが、こいつは制御系統を一切搭載していない欠陥人間だ。
だから、アクセル、ブレーキ、ハンドル操作の加減がわかんねえんだ。
部下や会社のためには、散々無茶をする」
「おっしゃる通り!そうですよねぇ」
「・・だから、そのコントロールをおまえに頼んでいるんじゃないか!!」
「そんなこと言ったって、
藤真さんが言って聞く人間じゃないの、牧さん良くご存知でしょう?」
「そこを、聞かせるんだ!!今回は簡単に見つかったから良かったものの、
人さらいにでもあったらどう責任取るつもりなんだ!?」
「ひ、人さらい!?何ですかそれ!?」
「取引先の色情魔にいたずら目的でたぶらかされたりとか、
産業スパイがK電産の情報を手に入れるために、こいつごと誘拐するとか!!」
「・・・そんな人いますか!?ついさっきだって、
藤真さんと一緒にSチェーン工業の営業の方と
打ち合わせがてらランチしてきたところなのに。
色情魔!?産業スパイ!?
みんな善意の方ばかりですよ!
そんなの、社内にも取引先にもいませんって!!」
「・・おまえ、もう少し人を疑うということを覚えろ!!
翔陽時代からのチームメイトのくせにそんな愚問を言うのか!?
度々危ない目に合ってきたのを、運良くすり抜けて来てるだけじゃないか!!
こいつ自身の身の回りにおける危険予測や危機管理能力など、
赤子より劣っていると、痛い位に知っているだろうに!!」
「もちろん、注意は払っていますよ藤真さんに。
ですが・・俺も自分の仕事があるし、
監視カメラやストーカーじゃあるまいし・・・ずっと密着、なんて無理ですよぉぉ」
「・・藤真の監視もおまえの大事な仕事の1つだ!!
張り込み中のデカがホシから目を離すか!?
”まかれました” じゃ済まねえんだぞ!」
「俺は刑事じゃないし、藤真さんも犯人ではありません!!」
「黙れ!!・・おまえがそんな達者な口をきくようになったのは誰の影響だ?
入社当時の素直で可愛かったおまえは一体どこへ行った?
まったく・・・2課は上司が上司なら、部下も部下だな」
「でもっ!」
「うるせえ!!職務怠慢が!!」
「うう・・・理不尽すぎる・・・パワハラだ・・・」
紳一の剣幕に、見守っていた一同、呆気に取られている。
明美も然り。それどころか・・・。
(あの紳一が、人を疑ってる・・
あの、人を疑うことを知らない紳一が・・あの人形のために)
紳一は、完全に親馬鹿を曝していた。
それは、年少、もしくは年頃の娘に対する父親のものに違いなく・・・
だが、それをされている人物は、忘れてはいけない
(どうやら)紳一の同僚の・・顔は幼いし可愛らしいが
スーツを着た、大の男なのだ。
しかし。
その事実を忘れさせる程の、紳一のこの激怒っぷりは何だ。
・・ちなみに、明美が飲みすぎて酔っぱらった時も、
行き違いで丸3日間連絡が取れなかった時も
こんな風に心配されたことも、怒られたこともなかった・・・。
この温度差と違和感、疎外感は・・・一体何だろう。
「・・だいたい、そのSチェーンの営業は何しに来たのだ?」
「だからっっ、打ち合わせがてらランチに」
「俺のところには、一度もそんなの来たことがないぞ!!」
「それは・・・何ででしょうね?」
「Sチェーンなど、うちの100%出資会社なのだから、
取り扱っている部品なんて解りきっているし
向こうもただ言われたものを大人しく納品していればいいんだ!!」
「そんな、横暴な」
「そいつ・・大方打ち合わせなどと称して
ただ藤真とメシが喰いたかっただけだろう!!」
「えーっ!?考えすぎですよ!
・・確かに営業の桐島さんは藤真さんがお気に入りみたいだけど」
「ほらみろっ!!・・・その桐島ってやつは、臭うぞ!!」
「臭う!?そんなぁ考えすぎです!!
牧さん、前から藤真さんに過保護でしたけど最近、
さらに拍車かかりすぎです!!ちょっと、病的ですよ!!心配しすぎ!!」
「ガタガタ騒ぐなっ!!まずその桐島って野郎を、担当から外すようにSチェーンに言え!」
「えー!!!???何ですかその圧力!!業者いじめだ!!あり得ません!!」
「うるせえ!!いいかっっ金輪際、このようなことがないように・・・うおっ!!??」
紳一の巨体が、瞬間的に飛び上がった。
そのスーツを着た人形が、左足で紳一の尻を足蹴にしたからだ。
「ふっ、藤真さん!!」
「・・”うるせえ”、”騒ぐな”っていうやつの声が、1番うるさいんだよなぁ」
と言って、紳一を睨みつける。
「・・・藤真!!痛いじゃないか!!何をする!!」
「牧!てめえだって、よくも何回も俺の事を叩いてくれたな?あ?」
「それはおまえが何時まで経っても目を醒まさんからだろうが!!」
「藤真さん~!俺も殴られました~!!」
「伊藤。よしよし可哀想に。こいつが乱暴で粗忽なばっかりに!」
「もとはといえば、おまえらがなってないからだろうが!
2課は上司も部下も、なっとらん!!」
「お言葉ですが1課の牧主任・・・
さっきからこっ恥ずかしいことを大声で叫びまくってくれやがって。
最近毎日聞いてる気がするが、おまえは一体俺の何なんだ!!??あぁ!?」
「毎日言っているが、同僚だ!!」
「ああ、そうだ!!おまえは俺のただの同僚であって、
父親でも、恋人でもねえんだからそういうのやめろよ!!」
「だったらおまえもこんなところで寝るのをやめろ!!」
「たーまたまだろ、たーまたま!!
ソファで空いてるのがここしかなかったんだよ!!
腰掛けたらつい・・だよ!!それを毎日やってる、みたく言うなよ!!」
「毎日こんなことをやっていたら、K電産の信用とコンプライアンスに関わるわ!!」
「あの~・・」
伊藤が遠慮がちに言葉を割り込ませる。
「「何だ!?」」
「・・・とりあえず、場所を変えませんか?」
「「あ」」
・・・紳一と藤真は、今、状況に気付いたかのように はっ と辺りを見回した。
周りに人だかりになっていた者たちが、素早く、ザザザッとハケていく。
2人は、今まで2人だけの世界だったのだ。完全に。
それがカップルの様な甘い世界ではなく、
喧嘩に夢中になって視野が狭くなっている、泥臭いだけの世界でも。
それでも、確かに2人だけの。
「はぁ、しまった・・・また藤真のせいで、やっちまった」
「おまえ・・・こんなところで吹っ掛けてくんなよ。恥ずかしいやつ!
あー、誰かに見られてたかな?同期に上司、取引先・・もう俺、社内歩けないぃ」
「・・!!どの口が言うんだ!!もとはと言えばおまえがそこに寝ていたから」
「ったく、しつけー男だな!!このネチネチ説教たれ男!!女々しいぞ!!」
「何だとっ!?」
「あのっ」
「「あ」」
自分が無視される続けていることに我慢できず、明美は声を上げた。
そこでようやく、藤真は明美の存在に気付いたようだった。
(伊藤はちょっと前に明美に気付いたようだったが、
戸惑いの笑顔を見せるだけで何も言ってこなかった)
「あ・・・ああ」
紳一は、明美を連れていたことなどまったく忘れてしまっていたようだった。
「この方は?」
「牧さん、もしかしてこの女性が」
「初めまして。紳一さんの婚約者の、藤田明美です」
「あー!やっぱり」
「ああ、モカ好きの彼女」
「え?」
「では、W自動車さんの」
「ええ、役員秘書をしています。
父もW自動車で働いていて、副社長をしています。
K電産さんにはいつもお世話になっております」
「こちらこそ、大変お世話になっております」
「・・こいつらは俺と同じエンジン生産技術部で、2課所属の」
「藤真です。初めまして」
藤真と藤田は、たった1文字違い。
それでも、その違いは確実。
「伊藤と言います」
「2課って・・紳一は、1課だったわよね?」
「同じ部屋だ」
「部屋どころか、席隣同士なんです。牧さんと藤真さん」
「あ、ああ・・・そうだな」
「そうでしたの・・えっと、藤真さん?」
「はい」
「さっき、モカ好きって・・・?」
「ああ!この前・・・な?牧」
「・・あ、・・ああ・・そうだったかな」
「2カ月くらい前かな・・俺、酔っぱらってこいつに迷惑かけてしまって。
部屋に泊めてもらったんだけど、その時に、コーヒーをいただいたんです」
「え?」
「あの時は勝手に、たくさんすみませんでした。
おかげ様で、助かりました。ありがとうございます」
「そんなことあったんですね!!
・・あ、藤真さんは、コーヒー飲まないと目が醒めないんです」
伊藤が、爽やかな笑顔で補足する。
「お恥ずかしながら、その通りです。
あの時、いただいたコーヒーがモカだったのを覚えていました」
「あ、だからさっきも紳一さんが缶コーヒーを・・・」
「ああ・・まったく、このカフェイン中毒野郎が」
「うるせえよ。おまえがあの時、コーヒー入れるの失敗したせいで
豆、大量に必要になったんだぜ」
「む・・・」
何のことはない。
数々の謎が、呆れるくらいショートカットで解けていく。
(私のためになんて、1度もコーヒー入れてくれたことないのに
藤真さんのためには、入れるのね)
明美は、紳一を見ない。
だが、紳一も明美を見ていないだろう。
きっと見ないようにしているに、違いない。
困っている顔を、見てやりたい気もするが。
でも、見たくない気持ちが、勝つ。
「いやぁ、とっても可愛いらしい方ですね!ねぇ、藤真さん」
伊藤が、悪意なく、明美を見て心底感心したように言う。
藤真も、それに対して微笑したまま品良くうなづく。
・・寝起きの、童顔でガラス玉の瞳、
何も知らない、何もできないような
可愛らしい、無垢な人形の顔とは違う。
そして先程まで紳一と言い合っていた時の、
砕けた友人の顔とも違う・・・
また違った、藤真のお客向けの上品な顔。
綺麗で高潔、いかにも利発な青年だ。
瞳の奥には、眩しい光が宿っている。
「お上手ですね。ありがとうございます」
そう答えながらも、明美は全然面白くなかった。
こんな藤真を前にしてそんなことを言われても・・・。
図々しいようだが 可愛い 、というのは聞き慣れている。
実際、自分の容姿を周りより劣っているとは思っていない。
だが、明美は 可愛い 、より、 美人 、 綺麗 と言われたい人間だった。
・・可愛いとは、便利な言葉であるから。
美人、綺麗、より解釈の幅が随分広い。
アンパンマンも、ブルドックも、綺麗でなくとも可愛いのだ。 綺麗だけど可愛いということはあっても、その逆はないのだ。
”女の子の可愛いは男からすると当てにならない”と前に男友達が言っていたが
それは、的を射ている。
だから例え男性から言われたとしても、明美にとってそれは嬉しい言葉ではない。
さらに。
こんな男を目の前にしては、尚更だ。
目の前の男――藤真は、文句ナシに ”綺麗” なのだから。
「今日は、K電産にはどのようなご用で?」
「紳一さんに会いに来たの。行けないかしら?」
「いえいえ、飛んでもございません!」
「牧・・・おまえ、愛されてるな」
藤真が、にやりとしながら肘で紳一のわき腹をつつく。
紳一は、何のためなのか、顔を情けない程赤くしていた。
(紳一に、触らないで!)
明美は、そう思った自分に愕然とした。
――これは、この感情は、嫉妬だ。
男相手に、することになるなんて。
「あっ!藤真さん!まずいです、13:30からB04でレビューですよ!」
「うっ!もうそんな時間か・・じゃあ、俺たちはこれで・・・
明美さん、牧のことをよろしくお願いします」
「失礼します」
・・・藤真と伊藤は、次の予定が押しているとかで、嵐のように去って行った。
「さてと・・・俺たちも、行くか?」
「馬鹿にしないで」
「・・何?」
「全部わかったわ。髪の毛が、誰の置き土産か・・
そしてコーヒーを、誰が飲んだのか!!」」
「!!・・・あいつを泊めたことを言ってるのか?」
「ええ、そうよ」
「・・すっかり忘れてたんだ、あいつが家に来たこと」
「本当に?」
「ああ・・・」
「下手な嘘つくのはやめて!!何よその鼻!!」
「鼻!?鼻がどうした!?」
「・・今はそんなのどうでもいいのよ!!
それより・・どうして隠したの!?どうして・・・!!」
「・・隠したわけでは・・・どうしてか・・どうしても言いたくなかったんだ・・
・・何故だか、自分でも訳がわからんのだ・・すまん」
「・・・ふーん、紳一って鈍いってずっと思っていたけど、
自分の感情にも、ここまで鈍いのね」
「何?」
「だいたい何よ、あの藤真ってやつは・・・
綺麗だって言っても、男のくせに!!
”牧のことをよろしくお願いします” ですって!?
あなたこそ、紳一の何なのよ!!親でも、恋人でもないでしょうに!!」
「よせ明美!何をそんなに怒っている!?
そういう言い回しをしたっておかしくないだろう!?
それに藤真は・・高校からのライバルであり、親友であり・・・同僚であり、仲間なんだ。
他の人間では、到底変われないくらいに重要な・・・
もっとも、そんな風に思っているのは、俺だけかもしれないが・・・」
「へぇ、ライバル、親友、同僚、仲間ですって?
色々肩書があるのね!しかも”他の人間では到底変われないくらいに重要” !?」
「・・おまえにだってそういう友人の1人や2人、いるだろ」
「ええ、いるわ!!そういう ”友人” ならね!!
でも、あなたにとって本当に彼はそれだけかしら!?」
「他に、何があると言うんだ!?」
「先週、お互いに仲の良い友人や先輩後輩、仕事仲間の話をしたわよね!
あなたは清田くんに神くんの名前を挙げたわ・・・伊藤くんも」
「ああ、覚えている」
「何故、そこに藤真は入ってこなかったの?
・・彼の話なんて、私今まで1つも聞いたこと、ないわよ」
「!・・・それは・・」
「・・それはあなたが彼に友人や仕事仲間以上の
感情を持っているからに、他ならないからじゃないの!?」
「待てよ!友人や仕事仲間以上の感情、だと?・・・一体、それは何だ?」
「あたしの口から言わせる気!?本気で気付いてないの!?
・・確かに安直で単純なあなたがそんな複雑な感情抱えたら、それは持て余すでしょうね!!
それでも私は・・・絶対言ってなんてやらないわよ!
男なら自分で答え、見つけなさいよ!!情けないっっ!!」
そう言い放つと、明美は踵を返した。
紳一が、腕を掴んで制止しようとする。
「おい、待て!」
「嫌よ、離して!」
「どうしたと言うんだ」
「私はね・・・仕事やバスケよりも私を優先させて、なんて思ってないわ。
それで良いと思ってたの。我ながら、何て聞きわけの良い女なんでしょうね!?
私、恋愛の中で1番なら良かったのよ。
でも、そこでも1番になれないのは、我慢できないわ!!」
「恋愛の中で1番?・・・」
「そうよ・・紳一があんなに怒ったの・・」
「え?」
「あなたが、本気出したの!!・・・あたし、試合以外で初めて見たわ」
明美は、1人エントランスを抜けた。
紳一は、もう追ってはこない。
(何よ、追って来なさいよ・・・!)
追ってきたらまだ、考えるつもりだったのに。
制止した手に、どうしてもっと力を込めてくれなかったのだろうか。
もっと強引に、行くなと言ってくれれば良かったのに。
・・・これでは、もう。
どうにも収まりそうにない。
紳一に対してよりも、明美は自分自身が情けなくてたまらなかった。
藤真・・・あの様子では紳一のことを完全に
そういう 対象外と見なしているようだった。
(そうでなければ、泊まったことなど自分から馬鹿正直に話さないわ)
つまり、紳一は彼に相手にされていない。
だからこそ、チャンスのはず・・・。
紳一が、藤真に対する感情の、答えに行きつかなければ。
そうだ、例え行きついたとしても・・
紳一はあれで、立場も考え方もかなり社会的な部類の人間だ。
このままうまく流されてしまえば、丸めこんでしまえれば。
来年には結婚して・・紳一は明美のものになる。
そう、戸籍上は!!
・・・でも、明美は気付いてしまった。
あの人物がいる限り、藤真が傍にいる限り
紳一の心まで、魂までは、きっと一生奪えない。
・・・結婚なんて、それでも良いと思っていた。
したもの勝ちだと思っていた。
他の人間を愛している相手などに興味はないし、
明美の高いプライドではそんな事を許すつもりもないけれど
それももし・・ ”紳一が” そうであるなら仕方ないとさえ、
きっと時間が解決するから何とかなるとさえ、思い初めていたのに。
そこまで、いつの間にか好きになっていたのに・・・。
初めて、自分の感情に気付いた。
本気で好きになった相手だからこそ許せないし、
見ないふりして、自分だけのために相手を不幸にもできない。
身を引きたくない。
だからといって、自分があの人より
紳一にとって魅力的になって・・など、きっと、無理な話だ。
今まで、大抵のことに挑戦してきた。
常に勝気であったし、実際に様々な勝負に勝ってきた。
でも、今回初めて。
やる前から・・・無理だと感じてしまった。
これだけは、どう転んでも無理だ。
単に 紳一に出逢ったのが彼より遅かったから、で片づけられない何かが。
それは、自分が紳一と言う男の性格や人格を
把握し始めたから解ることでもある。
他人の事を解ろうとしたのも、
明美の人生で、今までそんなに何度もあったかどうか・・・。
紳一だったから、知りたかった。解りたかった。
しかし、解ってしまえばそれは・・・。
紳一。
解ってないのは、あなただけなのよ。
本当に鈍いのね。
あたしは、もう全部解ってしまったのよ。
覚えておいて。
女の勘をあざむくのは不可能なの。
あたしが『浮気してる?』って聞いた時、あなたは『してない』って言った。
それは、確かに真実だったけど。
だって。事態はもっと深刻だった。
『浮気』なんかじゃ済まなかった。
あなたはもう、彼に完全に『本気』なんだから――。
ピンヒールだったが大股で、颯爽と正門を抜けた。
・・・吹き付けてくる風のせいで目にゴミが入った。
(目にゴミが・・・)
それは体(てい)の良い、言い訳になった。
明美は、どのくらいぶりか・・泣いていたのだから。
************************
<BGM>
・ONE A WIRE/THE GET UP KIDS
・Put 'Em Up/安室奈美恵
・Lovely/Guns For Hands/twenty one pilots
・GIVE ME LOVE/2PM
・夏祭り/ジッタリンジン
・六月は眩暈/the ARROWS
・極楽寺ハートブレイク/アジアン・カンフー・ジェネレーション
牧さんひどいな・・(おまえがな)
でも牧さんをこのまま簡単に結婚させるわけにも、話の流れ上いかず・・・(そうなの?)
明美は、書いていて面白かった。女性って面白い。
結構性格的に可愛いと思うんだけどなーこの娘。
藤真みたいな悪意なしの男にだけは邪魔されたくないー。
そして牧さん気持ち悪いー(誰のせい)。
この話は、ギャグだと思おう。
2013.06.30 友引 さようなら6月。
ありがとう。また来年、また逢う日まで。
(お手数ですが、ブラウザでお戻り願います)
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