Tie On 熱帯夜

・・・5分前にやっとのことで残業から帰宅した。

社会人になって数カ月、未だ生活リズムが掴めない。

なだれ込んだ自室の閉め切った空気は、外の暑さとは種類が違う・・が、
どちらもバカみたいに暑いことは共通している。
ただこちらは、籠る様な暑さで。息苦しい程だ。

 
すぐにでもエアコンをつけたいのに、コップ一杯水をガバガバ飲みたいのに、
その動作をするのすらだるくて廊下にしばし座り込む。
そして顎の線を伝って流れてきた汗を、やっとのことで無造作にだらしなく、
手の甲を使って拭った。


どのくらいそうしていたのだろうか。


突如、玄関の扉の鍵が回される音がした。
俺は情けなくもビクリと反応してしまう。
だが、夜の訪問者に対する一瞬の恐怖はかき消され、すぐに甘い喜びが湧きあがった。

簡単な連想ゲーム。
この時間に尋ねてくる人物。そして合鍵を持っている。ひとりしか該当者はいない。

部屋でひとり、ご主人様の帰宅を待ちわびる犬の気持ちって、こんなものかもしれない。



「・・いやぁ、あっちぃあっちぃ!!敵わんわ!」

その該当者は鍵が開くとすぐにネクタイを弛めながら、
行儀悪く足を使って、その長身を部屋に滑り込ませてきた。

暑い、と騒ぎながらも、涼しい顔。暑さをまったく纏っていない不思議な男。
それは肌の色のせいかもしれないし、薄い色素のせいかもしれない。

こいつの肌は真夏でも、透けるように白い。俺も白いが、種類が違う。
彼の肌は、ブルートーンなのだ。青みがかっている。
なのに何故かそれは美しく映っても、決して不健康には見えない。
それは彼の充分過ぎる長身と、ムダなく理想的に筋肉の付いた身体のせいかもしれないし、
その端正な顔立ちのせいかもしれない。

今も、ちょっと疲れている風を装いながらも、実際に疲れている様子は微塵も認められない。
俺もタフだと言われるが、こいつにはまったく敵う気がしない。

こいつは外で一緒に飲んでいても、23時から会社に戻って朝まで仕事・・を平気でする。
これが一流と言われる広告代理店で働く男の強靭な肉体。体力。精神力。
本当にタフなやつとは、きっとこういうやつのことを言うのだ。


「・・お前、何で?今日来るって聞いてないんだけど。来るんだったら連絡ぐらいしろ」

つっけんどんな言葉と表情とは裏腹。

犬だったら尻尾を千切れんばかりに振っているところだろう。そんな俺。

痺れる甘さに顔の筋肉が垂れ下りそうになるのに抗い、必死にポーカーフェイスを装う。

でも、こんな演技も何のためなのか。俺は一体、どんな自分を守ってるのか。
何をしたってプライドも面目も守れるはずないのに。
こいつには、きっと全部見抜かれている。

・・そして見抜いた上で気付かないフリを装う、トンデモナイ食わせ者。
そういう危ない男だと、わかってはいるのに。


「近くまで来たんでな」

色気のある深いトーン。それに自然と抑揚がつく。
自分の発する関西弁に、どんな相乗効果があるのかも知っているはずだ。

やつはヘタっている俺を気にも留めず、玄関で乱暴に靴を脱ぎ
大股で俺を跨いで乗り越え、キッチンの冷蔵庫を勝手知ったる様子で開ける。

「えー!ビールないんかぁぁ?」
「・・だって来るって聞いてないもん。買ってるワケないだろ」

俺の家でビールを飲むのはやつだけだ。
俺自身は、アルコールには強いが外でしか飲まず、晩酌をする習慣はない。
よって、こいつが来る時にしか酒は用意していない。


「前あったやつ、もう飲んじゃったのかよ?」
「あんなん、1、2本やったやろ」
「バカ。5、6本はあったろ」
「1ケタなんて、いくつでも同じや」
「このアル中が」
「何と言われようが、アルコールは俺のガソリンや」
「燃費悪そうだな」

「・・うーんもう!しゃーないなぁ」

そう言いながら、やつはやっと俺を見た。俺は唾を飲み込む。
今さらながら、カラカラの喉を自覚させられた。

暑さにやられた俺の目は、やつの赤いネクタイの弛められた喉仏に釘付けで。
焦点定めらんない。

俺を涼しげな瞳の奥で笑いながら見つめてくる。
・・そんなやつの手に握られているのは、
いつの間にか解かれていた、彼の赤いネクタイ。
一体、何。

そう思った次の瞬間、いきなり手首を捻じり上げられた。

「わっ!ちょ・・・何?何すんだ!?」
「お前何か、こうされたい顔してんねんなぁ」

その俺の両手を、リビングのドアの取っ手に、ネクタイで括りあげる。
「・・ちゅーか今さらやけど、この部屋暑っ!異常に暑っっ!」
「さっき帰ってきたばっかで、エアコン入れてねぇんだよ!ていうか何これ!?解けよ!!」
「藤真がネクタイ好きやって言うから、俺、暑いのに外さずここまで来たんやで。褒めてぇな」
「好きだなんて、言った覚えない!」
「言ってなかったか?・・じゃあ、目でゆっとったんかいな」

そう言いながら、目の奥で笑った。

「!」

俺は確かにやつの指摘通り、ネクタイが好きだ。
だが、ネクタイなら何でも良いというわけではない。
特に、やつがそれをしているしている様子が好きなのだ。

そのことに、気付いていたとは・・・悔しさと恥ずかしさで、頬が紅潮する。
アルコールを飲んだわけでもないのに、酔いそうだ。

と、やつがおもむろに俺の目の前にしゃがみ込んだ。

そして余裕のない様子の俺を見て満足そうに、

左の口の端だけ少し吊り上げて笑った。

その表情。

やばい・・敗北宣言。

今すぐしてほしい。


彼の顔が近づいてくる。ちょっと横に傾けられて。
そのゆっくりな速度とギリギリ届かない距離がじれったくって、
それ以上動けない俺は飢えた犬のように舌を突き出してでも彼に触れようとした。
もう少し・・・もう少し・・・!

・・それなのに、もうほんの数センチ、数ミリ・・ということろで急にやつがパッと離れた。

「さてと!俺コンビニ行ってくんわ」
「・・・はぁぁあ!?」
「だって、ビールないし。ちょっくら買ってくるわ。お前も何かいるか?」
「は!?意味分かんない。それなら俺も行く!いい加減ほどけよ!!」
今度こそ、腹が立った。

「いや、すぐ戻ってくっから。良い子やから、そこで大人しゅうしとってな」
「え!?ちょ・・・し、信じられない!!解いてけ!!!」
やつは俺が暴れれば暴れるほど、ますます嬉しそうにした。

そして俺の顎を人差し指で上げて自分の方を向かせた。
「ここでええ娘にして俺のこと待っとったら、帰ってきてからちゃ~んと色々してやんで」

「――――!!!」
「愛してんで藤真。また後でな」
「・・有り得ないっ!!ちょっと!!」


バタン。

マジ?

ホントに出てっちゃったんだけど。
信じらんない。せめてエアコンつけてけよ。

バカ男。人間のカス。サド。悪趣味。変態!!

・・でも、そんなやつに狂ってる俺・・・。


俺はここから一番近いコンビニを想い浮かべた。
たぶん、15分くらいは帰って来ないだろう。

こんな姿勢で・・・結構長い。

暑くて気持ち悪くて、おかしくなりそうで。

やることもなかったから、やつのことを考えた。

帰ってきてからのことを考えた。

・・早く帰ってきてくれ。

やつが返ってきたら。

俺の両手をねじ上げてる赤いネクタイで、今度は・・・ 。




・・・頬を伝って来た汗を、俺は大袈裟に舌で掬い取って舐めた。




++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


なーんて。
真冬に真夏の話を書くあたし。暑過ぎても寒過ぎても頭も湧きますな。

ところでこの後この彼、
コンビニで仕事関係の知り合いにあっちゃって
藤真のこと忘れて話し込んじゃって。

わっやべぇと思って帰った時には1時間近く経ってて。
ドアを開けると車内の置き去り幼児のごとく藤真がグロッキーになってて。
・・・みたいな落ちは、ギャグっぽいね。

そんな風にオチがあるなら、まだ救われるけど・・・。

そんな、社会人歴の浅かった&若かった頃の藤真と元彼の話でした。

藤真ちゃんも、叩けばホコリが出ます。でも、そのホコリ(誇り?)にまた人が群がるんでしょう(どんなだ)

相手が誰かはご想像にお任せしますが・・関西弁で・・あの人しか、いませんね。ええ。あの人しか。

そしてマイバースデー明けは爽やかにうちのサイトほぼ初!の花藤で始めようとしていたのに・・。

何故こんなことに。波乱の幕開け。

だけど、人生は時に波乱があるから面白い。


2013.01.29