海岸通りの夜明け
①不変的な美学
 


2010 年春。

・・・その日も、湘南の空にはいくつかのグライダーが舞っていた。
パラグライダー、ハングライダー。
橙、紫、赤、緑、青・・・それぞれ色とりどりで、幻想的な世界観。
――日没まで、遊覧飛行を楽しむのだろう。心行くまで。


・・・一方のその男は、今日も陸にいた。
お気に入りの場所である、湘南は腰越港の堤防の先端で、
お気に入りの曲である、トライセラトップスのフィーバーを口ずさみながら
休みの日や、仕事が早く終わった日にしばしば行う行動に出ていた。

ちなみに”しばしば行う行動”とは、海釣りのことである。
実行しているその男は、口ずさむ歌のリズムを身体でも軽く取りながら・・・
無駄に長いその脚を小さく動かしながら、かすかに揺れていた。

・・・その揺れは、振れ幅は、周期があるようで掴みどころのない、
それでも不思議と引きつけられる、魅力的なサイクルだった。

まるで彼の繰り出すリズムにいつの間にか操られて、波もそっと満ち引きしているような。
空に揺れている色とりどりのグライダーも、遊び心につられてダンスしているような。
そう、今、彼の目の前に今広がっているこの世界観こそ、彼の感性そのもの。
(この場所で同じものを観ても、他の人間の眼下に彼と同じ世界が広がるのかは解らない)

そして当の本人のその男の思考は・・・随分遠くの方に・・少なくとも、今ここにはなかった。
彼の思考は、しばしばそうなるように、
2005年の冬の、良く晴れたある寒い日に飛んでいた。

あの日の湘南には、この場所には、彼にとって重要な人物が確かにいた。
そう彼の世界には、あの日失ってから・・・ずっと欠けているものがある。




あれから5年。

5年という月日が長いのか短いのか、一概には言えない。
だが、例えばそれが”片想い”の期間だとしたら・・・
一般的に言って、決して短くはないだろう。

”片想い”は楽しいだろうか?
この問いも、難しい。
これも一般的に言えば・・・まず、年齢に比例して苦しくなると言えるだろう。
幼い頃のそれは、まだ甘いはずだからだ。
そして、時間と距離には、反比例する。
過去になってしまえば思い出した時に、それは少しだけ楽しいだろう。
それにその対象から離れてしまえば、記憶や心などいとも簡単に薄れていく。
だが、渦中にいる時は・・・きっと苦しさの方が随分と大きく、
傍にいる時は相手の反応に一喜一憂して、眠れぬ夜を過ごすことも珍しいことではないだろう。

彼は、まだ17歳であった当時から5年経った今まで・・・
離れ離れで、連絡を取り合うどころか、お互いどこに住んでいるのかも知らない状態だった。

これは、すべてが忘却には相応しいシチュエーションだ。
・・・それでも彼は、記憶から消すことよりも
積極的に忘れないことを選んだ。


そう、”忘れないこと”――その表現がしっくりくる、と彼は思う。
””忘れられない”と言う言葉は、少しピントがずれている気がする。
それは、忘れるか忘れないかを選んでいるのは
本来、いつもただ自分自身のはず・・・という事実以外ないのに。

”その出来事を”忘れない”ことが、その記憶に”執着”することが
何かしらのプラスになると思うから、人は皆、忘れられないはずで。
例えばその出来事から思い起こすのが一見マイナスの感情・・・
嫉妬や屈辱だったとしても、自分で手放さないことを選んだ時点で
自らを突き動かす何かしらの原動力になっているはずだ。

そして。彼の場合。
(俺は、忘れない)

・・・彼の”忘れない片想い”は、未練 とか 呪縛 とか
暗いニュアンスのある言葉とは程遠く、明度を失うことなく・・ただ純粋に停滞していた。

更新もなく、循環もなく沈殿する、その純粋な感情の吹き溜まりを・・・
今日も彼は、1つ1つ、点検するように懲りずに思い起こしていた。
まるで棚から出して、触れて、眺めて・・・そしてまた大事に元の位置にしまう様に。

いつも、そうするように。


ある日の土曜日、仙道の部屋の小さなテーブルを挟んで
鎌倉しふぉんのケーキ、アールグレイ味を
幸せそうに頬張っている”あの人”。

それに・・・

ふとした時に、道端でさりげなく甘えてきた”あの人”。

海辺で少し照れた様子で、そっと寄りかかってきた”あの人”。

自分の発した冗談に過剰反応して、
ムキになって、押さえ込む様に肩に手を回してきた”あの人”。


そのどれもが他愛のない一場面に過ぎないのだが――
彼にとっては、そのどれもが大切だった。

(やっぱり今日も、どれが1番、なんて選べるはずもなかったな・・・)


・・・・その光景は、周りからみると実にぼーっとしているようにしか、思えない。




それはまるで、かさぶたを剥がすような感覚。
身体でも心でも、やめれるものならやめた方が良いとわかっているのに、やめられない。

理性も、この甘酸っぱい誘惑の前では止められる程の効力を持たない。
それでも初めから・・・この低温ヤケドの疼く様な鈍い痛みと、うまく共存してきた訳ではない。
(今はやっと、剥がす”コツ”が解ったから楽しいのだ。剥がしてはいけないタイミングも解っている)
深く、勢いよく剥がし過ぎて、健康な細胞の部分までも化膿してしまうこともあった。
そう、端的に言えば、思い出して暗く落ち込むこともあった。
それでも・・・彼は剥がし続けることを選んだ。
そうやって選んだ末に、苦しんだ末に、この穏やかな半永久的な停滞を手に入れたのだ。

そして時々、5年前の自分を思い出して・・・愛しく思う。
強がっていた自分を。格好付けだった自分を。

そう、どうして自分は5年前、あんなに簡単に”あの人”を手放したんだろう・・・
それは、”あの人”の前で良い格好をしたかったからに他ならず・・・。
甘かったのだ。
ほんの17歳だった当時は、失った後の喪失感とか、辛さとか・・・
離れることが自分に及ぼす重大さを、ほとんど予想できていなかった。甘かった。

あとは、プライド・・・。
離れていきたがっていた”あの人”を、無理に引きとめることなどみっともないと、痩せ我慢をした。
それに、少しの優しさ・・・のようなもの。
離れていきたがった”あの人”の、離れていく意志を尊重したのだ。


だが。今は。

格好付けも、プライドも見せかけの優しさも・・・。
例え”あの人”がそれを望んだとしても、
そんなものはもう一切、彼は持ち合わせていなかった。
二度と、持つつもりもなかった。

ただ”あの人”が帰ってきてくれるならば、
”あの人”の望む自分ではないかもしれないけど・・・
ただ想い続けるこの弱さが、今の自分の強さなのだと、存在証明なのだと。
それしか持っていないと、伝えよう、と。
”あの人”に対する想いが・・この美学だけが、唯一の持ちものの、丸腰の男なのだと。


”忘れない”という選択はいつでも進路変更できる
(つまり、その気になれば忘れることができる)が、それはしない。
現状に不満もないけれど、常に何かが欠けている。
そして・・・その欠けているものに、彼自身、気付いている。
その事実に目をそむけない。ただ静観する。
無理矢理に取り戻そうと足掻くこともせず。
積極的でも消極的でもなく。ポジティブでもネガティブでもなく。
ただ、風のようにそっと、波のようにずっと、自然に。


・・・彼はその欠けているものを、欠けている人物を
ひたすら呼吸をするように、静かにこの5年間、待ち続けた・・と言うよりは、想い続けた。

もしかしたら出逢うどころか、すれ違うことも2度とないかもしれない、
狭い様な広い様な世界の中で。
それでも構わない、という潔い覚悟などなかった。
出逢わなければならないという脅迫観念もなかった。
ただ、希望だけは失わず、目の輝きだけはそのままに。
ただ、呼吸をするように。ただ、そこに存在するように。


・・・そして物事のフェーズが次工程に移るように
彼が静観しているこの世界が、動く時がついにやって来た。



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その堤防にその人物がやって来た時、仙道はほんの少ししか驚かなかった。
それはずっと心に思い描いてきたシーンだったからだ。

・・・あまりにその場面を幾度も想像しすぎていたせいなのか
実際に彼がやってきても、それが自分の眠りが見せた夢なのか、願望が見せた幻なのか
はたまた実際の現実的な出来事なのかが、しばらく理解できなかった。
(現実世界で起きていたことなのだが)



”あの人”は、いつかのように横までやってきて

「・・・よう」

と、まったくの音信不通であった5年間など、5年前のこの海岸での別れなど
まるで無かったかのように、ぞんざいに、無頓着に挨拶をした。

・・・そう、5年ぶりに仙道の前に現れた藤真健司は
あの頃よりもさらに唐突で、あまりに自然な登場を果たした。
だから、仙道の応対もそうなった。
(彼が仙道の世界に違和感なく溶け込んできた理由の1つは
仙道がいつかの未来を想像する時に、いつもそこに藤真がいたからかもしれない)


「・・ああ、どうも」
「久しぶりだな」
「5年ぶりですね」
「そんなに経った?」
「はい」
「元気そうだな」
「そう見えます?」
「違うのか?」
「まぁ、それなりには」
「それなり?」
「それなりは、それなりですよ」
「よくわからん」
「・・・まぁ、元気ないように見えるよりは、良かったです」
「ないようには見えない。だって、相変わらずの髪型だし」
「髪型?」
「逆立ってる」
「それが?」
「元気ないやつがやる髪型には見えない」
「・・そうかな?」
「そうだよ」
「ははは・・藤真さんはどうなの?元気してた?」
「・・・俺も、それなりには」
「何ですか、それなりって」
「それなりは、それなりだろ」
「はっはっは。相変わらずですね」
「おまえこそ、相変わらずだ」
「そうですか?」
「相変わらず、釣る気もないのに釣りしてる。そしてボウズ」
「相変わらず、獲物はボウズなのに髪の毛は逆立ってる・・・って?」
「そう・・んで、相変わらず笑えないし」

・・・そう言って少し笑った藤真は、
昔より少し痩せたように、影を帯びたように見えた。

そしてあの時のように、ここで出逢った時のように・・・
仙道の横に、直に腰を下ろそうとした。


「あ」

仙道は、あの時のようにポケットを探った。
ちょっとくしゃけた・・真っ青な色のハンカチが出てきた。
あの時差し出したハンカチも、こんな色をしていたように思う。
それを、藤真に差し出す。

「これ・・・?」
「下に敷いてください」
「・・・相変わらずだな」
「相変わらず、受け取らない気です?」
「・・ううん、さんきゅー」

藤真は、5年前とは違って素直にそれを受け取った。
昔は、そんなの気にしないと言っていたのに。
何の変化が彼にそうさせたのか、ただの気まぐれなのか、仙道には解らない。
だって、ただでさえ他人のことは解らないのに、音信不通で5年も経っている・・・。



「・・おまえ、今でもこの辺に住んでんの?」
「学生の時から、ずっとあそこに住んでますよ」
彼も何度か来たことのある、あそこに。
「・・・へえ、そうなんだ。相変わらず海、好きなんだな」
「単純にここが好きってのもあるけど」
「あるけど?」
「ここ、だって思ってたから」
「ここ?」
「・・・藤真さんとまた逢えるとしたら、ここだろうって」
「!」
「・・ははは、そんなに警戒しないでくださいよ」
「警戒なんて・・・してない」
「そう?それなら良いけど」
「この5年間、何してた?」
「何かな?・・・釣りして、大学卒業して、就職して、
やっぱり時間や休みが出来ると釣りして・・・
それで、この海に来て、ぼーっとしてたかな」
「おまえらしいな」
「うん。ぼーっとして、ひたすら藤真さんのこと考えてました」
「・・・本当、に?」
「ええ、何で嘘つく必要があるんです?」
「だって・・・そりゃな」
「俺の気持ちは、変わってないですよ。あの頃とね」
「マジかよ」
「・・マジですねー、呆れたことに」
「からかうなよ」
「からかってないですよー、残念なことに」
「ホンキ?」
「本当にホンキ・・どうしたら信じてくれます?」
「・・・何だか、少し嬉しいな」
「嬉しがってるようには、全然見えないですけどね」
「ああ・・嬉しいんだけど、おまえが哀れな方が大きくて」
「・・哀れ?俺が?」
「こんな俺のことずっと想っててくれた・・・なんて。それが本当なら」
「本当なら?哀れですか?」
「ああ、こんな哀れな俺のこと、大事に思ってたんなら、おまえは哀れだよ」
「・・藤真さん」
「何?」
「勝手に人のこと、仕分けしないでくれます?」
「え?」
「・・・幸せとか不幸せとか、人に決められるものじゃないでしょう?
いくら藤真さんでも、俺の美学は勝手に左右できないはずだ。俺の気持ちの問題だから」
「美学?」
「ええ。自分の美学って、いくら傍から見て下らなくたって、
守れて愛でれば、それで幸せなんです。
俺は・・・全然十分じゃなかったけど、何度も心折れそうになったけど・・
あなたがいなくなっても不幸ではなかったですよ。
あなたへの思い出を・・想いを紡いで、
引きづって・・・あの日からここまでやってきたんですから」
「仙道・・・」
「そんな俺の美学・・・
見てくれは悪くても・・気持ち悪いと批難されようとも・・
俺は結構気に入ってるんです。
自分でグッドジョブだと思ってるんですよ。
・・どれだけあなたや他の人間から見て痛々しく映ったって、それは変えられない。
だから、勝手に俺の事、不幸せって決めつけないでくれますか?」
「ごめん」
「それに・・・藤真さんは自分のこと哀れだって思ってるの?」
「・・・自分のことは自分の気持ちが決めるんだろ。
それならやっぱり、俺は哀れだよ。守りたい美学なんてものも・・ありはしないしな」
「・・何があったか知らないけど、それは半分しか正解じゃないよ。
それは、藤真さんの自己評価だけだから。
あと半分は、藤真さんの周りの人の美学だから」
「・・・他人には決められないんじゃないのかよ、たった今、おまえがそう言ったんだぜ」
「100%はね。だけど、他人の方が自分を知ってる場合ってあるでしょ?
自分自身では、自分を本当の意味で客観的に観ることが・・一生できないように。
自分の外見ですら・・鏡を通してしか見えないでしょう?」
「・・いつからおまえ、そんな風に理屈っぽいこと言うようになったの?」
「いつからでしょうか?年上の、誰かの影響だと思うんですけどね」
「誰のだよ」
「・・自覚があるのに質問している、誰かの、でしょうね」
「ふん・・」
「ははは・・とにかく、
他人があなたをどう思ってるか、俺があなたをどう思うか・・・
そんなことまで全て決める権利は、あなたにだってないはずだ」
「いや、あるだろ」
「・・それをしようとするのは、傲慢だよ」
「・・・久しぶりに逢ったやつに、傲慢、なんて普通言われないよな」
「ごめんね・・でも、そこは譲れないです。
勝手に自分のこと、救いもなく、哀れだなんて決めつけないで欲しい」
「でも・・・仙道・・俺は本当に・・情けないやつになり下がったんだ・・・」
「藤真さん」
「ごめんな・・想い続けた俺が、こんなんになってて。
失望させるつもりはなかったのに。
いっそ、逢わなければ良かったな」
「・・そんなこと、全然思いません」
「・・なん・・・で?」
「久しぶりに逢ってこんなこと言うのもおかしいかもしれないけど・・・
俺、藤真さんのこと、あの頃から顔も性格も全部好きだったんだけど
たぶん・・・それってそれだけじゃなくて、遺伝子とか、魂?とか・・
そういう目に見えない、理屈じゃないレベルで好きみたい」
「・・・は?」
「うーんと・・うまく表現できないけど・・・
だからあなたが今例え哀れで情けなかったとしても、
それによって何も左右されないんです。
俺があなたを好きだという事実が、変わったりはしないってことですよ」
「何それ・・・」
「うーん・・・不変的な・・無償の愛、みたいな?」
「無償の愛?」
「ええ!その表現、ぴったりー」
「・・・おまえからそんな言葉が聞けるとはな」
「俺もまさか、自分がそんなこと言う日が来るなんて」
「5年ぶりにあったのにな」
「5年間分の、愛の告白です。藤真さん、受け取ってー」
「・・すげー重い言葉を、すげー軽い調子で言うのが、何ともおまえらしい。
まったく、本気なんだかいい加減なんだか・・・」
「・・まぁ、正直その無償の愛ってやつが何なのか、
これがそうなのか、解らないんですけど」
「当然さ。目に見える証拠があるとか、
他の何かと比較できるとか言うわけじゃないから・・な」
「でも、こんな気持ちは初めてです。これが無償の愛じゃなければ、
俺にとってのそんなものは・・・この世には存在しない」
「!」
「なーんて・・・ははは、ちょっと大袈裟すぎです?」
「だいぶ、大袈裟だよ」
「・・・ですよね。でもね、本気でそう思うから」
「・・・仙道・・」
「はい」
「おまえ、逢わないうちにすげーキザになってないか?・・・」
「ははは!・・・そんなことないですよ。
だけどね・・藤真さん前にしたらね、伝えなきゃって・・思ってね」
「・・・・・・・・」
「藤真さん、何があったか解らないけど、元気をだして」
「仙道・・・愚痴っていいか?」
「はい、どうぞ」
「俺・・・もう、色々、ぐちゃぐちゃで・・・
口に出すのも情けなくて気持ち悪くて・・具体的には言えないけど・・・
世間一般からすれば大したことでもないのに、また懲りもしないでトラウマ抱えて・・
散々考えても、考えないようにしてみても、結局どうして良いか解らなくなって・・・
それで海が見たくなって・・・ううん、それだけじゃなくて・・海が観たかったのは本当だけど・・
おまえに・・・もしかしたら逢えるかもって・・おまえなら今日の俺の事・・・
笑い飛ばすのか無視するのか励ますのか・・どうするのかまったく解らなかったけど・・・
それでもおまえなら何とかしてくれる気がして・・・おまえに逢えば、逢いさえすれば、
何かが変わるかもしれない気がして・・・当てにして・・・」
「・・・で、当てになったー?」
「あ?ああ・・・大いに」
「良かったです。今日もここで釣りしてた甲斐がありました」
「ボウズでな・・」
「はっはっは・・・うんうん」
「相変わらずの馬鹿だな・・・」
「藤真さんは相変わらず綺麗だし、哀れなんかじゃなくて、潔く見えますよ」
「仙道・・・」
「今大丈夫じゃなくても、いつかは大丈夫になるから、大丈夫」
なるべくその”大丈夫”を、早く藤真にあげたいと思った。最速最短で。
「うん・・・」
「話せるようになったら、話したくなったら、話してください」
「うん・・・」
「俺に出来ることがあるなら、するから」
「ありがとう・・・おまえには、いつも面倒をかけるな」
「そういう星回りなんですかね」
「可哀想なやつめ・・・」
「いいえ、光栄です。それに俺、趣味なんです」
「しゅみ?」
「藤真さんのトラウマ取り除く事が」
「ふんっ・・・悪趣味め」
「お褒めの言葉、ありがとうございます」
「ドM」
「もっとゆって」
「ヘンタイ」
「わ、さすがに言いすぎ」
「ふっ」

(あ、笑った)
と、仙道は思った。

やっぱり、藤真の笑顔は良い。これだけで良い。
これが、仙道の美学そのもの。守りたいもの。愛でたいもの。

・・・すべての世界観を変える、不変的な笑顔。



**********************************



弱っている相手は、判断能力が鈍っている。
それをチャンスと捉えて、利用して、漬け込んで・・・
甘い言葉で近づいて、なし崩し的に関係を深める・・・。


・・・そんなこともできたはずだ。
実際、そこまで露骨でもなかったが、
高校時代に仙道と藤真が付き合い出したのも、
すぐに身体の関係になったのも、そうした心の綻びが発端となっていたのは否めない。

だが・・・仙道は、今回はそうしないと決めた。
藤真は、半ば自棄になっていたのでそうなるのは難しくなかっただろうけど、それでも。

今回は、そうはしない。
前回も、それが失敗だったとは思っていないけど・・・それでも。

藤真のために。何より、自分自身のために。


自分でも不思議なことだと思ったが、仙道は
藤真のことを前から・・・そう、別れた5年以上も前から・・・ずっと、
何年も何十年も、何百年も何万年も前から・・・
待っていた、探していた、気がしていた。

そう、それこそ気が遠くなるくらいの時間を・・・
仙道はずっと、藤真を待っていた。探していた。
生まれ変わりなんて、前世なんて信じたことはなかった。それでも。
この生が始まる、きっとずっと前から・・・。


もしかしてこの感覚が、藤真のことを ”不変的な無償の愛” と呼び
根拠もなく想い続けることができる理由なのかもしれない。
恐らく・・遺伝子とか、魂とか言った
目に見えて解らない、理屈ではないレベルで仙道は藤真が好きだった。

(そう、何年も何十年も、何百年も何万年も前から、
ずっと俺は藤真さんを探していた。
そして見つかったのだから・・失ったこともあったけど・・
ようやくまたここに戻って来たのだから・・・)

今さら、そんなに急ぐこともない。
彼がいなかった、途方もない時間に比べれば。彼さえ傍にいる今ならば。



道に迷っても問題ない。周り道でも、脱線でも。
道など、レールなど、本来は何もないのだから。
そう、それは平面ではない広がり。次元が違う。

本当は、目の前に広がるのは無限の空間。

晴天に散らばるグライダーや、夜空に舞う星や惑星のように、すべては自由。


・・ただ、人間はその 自由 の力が怖くて、重力で地面に必死にしがみつく。
自分の大切な人間が遠くに行くのが耐えられなくて、互いに縛り付け合っている。


それでも、仙道は思う。
(例え無限の宇宙に投げ出されたとしても、
俺はもう藤真さんを見失わない。必ず見つけ出せる)

それが隣の家の犬小屋だろうと。月の裏側であろうと。

・・・根拠のないこの強い想いが
きっと、不変的な無償の愛なのだろうと。

この受難な美学を抱えたままならば、
右往左往することができるのも・・・きっと幸せに違いない。


今宵もひっそりと姿を見せ始めた、
孤高で美しい・・・あの静観な月に誓って。


青と緑のパラグライダーは、今宵・・確かに急接近した。



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<妄想誘発BGM>

*Superfly  愛をこめて花束を  
*石崎ひゅーい  花瓶の花
*DAISHI DANCE MYDJBOOTH. DJ MIX1
*capsule グライダー(rmx ver/Live edit)


2013.09,20 大安 彼岸 満月

(お手数ですが、ブラウザでお戻り願います)