仙藤祭2013 
湘南グライダー:青春プロローグ

④両雄~翔陽高校の双璧~
 


この高校に来てよかった。

日下暁(くさかさとる)は、心底そう思っていた。
彼は翔陽高校に来て――いくつかの未経験の出来事に遭遇した。

初めてまともに、チームで野球をした。

初めて、人を殴った。

そして・・・初めて恋をした。


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中学までの彼は、孤独だったと言わざるを得ない。

彼は、野球でピッチャーだった。
もっとも、地元のリトルリーグ・シニアリーグに小学校・中学校での野球部と
彼が所属する団体は常に2つづつあったから
それだけ聞くと、 孤独 と言う言葉からは縁遠いように思える。


だが――真相は違った。
彼は、突出しすぎていたのだ。

中学時点で150㎞/h近い豪速球を投げる彼に、同世代は誰もついて来られなかった。
彼の球を受けることのできるキャッチャーは、地元のリトルリーグにもシニアリーグにも、
中学校の野球部にも・・・周りのどこにもいなかったのだ。

あの頃のチームメイトたちの・・・
彼らの眼差しは、一生彼の心の、どこかしらに巣食うことだろう。

特に中学に入って初めのうちなど、彼の高い身体能力は・・羨望よりも、
思春期にありがちなフラストレーションの要因となり・・・
それを解消するために集団暴力の、格好の餌食となった。
先輩たちに、リンチにあわされたのだ。
・・それでも日下は、言葉でも行動でも、やり返すことをしなかった。
されるがままだったが、一切、相手にしなかったのだ。

・・・すると不思議なもので、
最後には、どちらが暴力を振るわれたのか解らないくらいだった。
逃げ出したのは、殴る蹴るをしていた上級生の方。
何もしなくても態度と威圧感で、完全に日下は勝っていた。
それなのに――
やられても、手も出さずに歯を食いしばってやり過ごしたのに
最終的には嫉妬されるどころか
同級生や後輩にも不気味がられ、誰からも相手にされなくなった。
(本人が望まずとも、日下の年齢にそぐわず、クールで誰ともつるまず
身体も大きく大人びた容姿は、そのことにさらに拍車をかけていた)


・・・これは、死刑宣告に近かった。
野球は、1人ではできないからだ。
それでも彼は、諦めずに壁当てを――
壁を相手に、ひたすらボールを投げ込んでいた。

誰が言ったか、『諦めたらそこで試合終了ですよ』――。
その格言を、彼が知る由もないのだが
彼は、それを本能で解っていた。
そして――決して諦めなかった。



・・・そんな彼の信念が、花開いたのだろうか。
不遇の中学時代が過ぎ、
ついに彼にも本物の野球を知る機会が訪れる。

野球の強豪、翔陽高校への入学が叶ったのだ。


神奈川の翔陽高校と言えば、野球の名門だった。甲子園へも何回も行っている。
そう――ここは中学時代、4番を張っていたのが当たり前の
エース級・怪物級の生徒が全国から集まってくる場所だった。
・・日下の球を受け止めることのできる優秀なキャッチャーも、そこにはいた。

・・・高校生にして初めて彼は、
本当のチームメイトという存在を知ったのだった。

日下は野球漬けの毎日が充実していて、楽しくて、
時には己のまだ力の及ばない部分を見つけて悔しくて、
・・そして、ただ野球がもっとうまくなりたくて、仕方なかった。



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「そう言えば、翔陽高校の双璧って知ってるか?」
「何、ソレ?」
「そう呼ばれてるぞ日下、おまえ」
「俺が?」
「うん」
「?・・・」


5月の終わりだった。

帰り道、野球部で同じ1年の安城と沼田と一緒になった。
たわいもない会話の中で・・・おもむろに2人が話題を振ってきたのだ。
2人とも、人懐っこい人間だった。
人見知りの日下も、この2人には早い段階で自然に接することができていた。
(それでもやはり、十分口数が少ないのだが)

「そうへき・・・」

考えても、漢字が一向に思い浮かばなかった。
そうへき・・・蒼壁で、青い壁、のことか? などと、見当違いな思いを巡らせる。

「両雄のことだよ。甲乙つけがたい2つの優れたもの、ってことだ」
沼田が、日下が言葉の意味を理解していないと踏んで、さらっと解説した。
一緒にいる時は野球しかしていないので
普段はすっかり忘れているが、そう言えば沼田は勉強がよくできた。

「2つ、の?」
「だから、この場合2つっていうか、2人の、だろ」
「2人?」
「1年4組の藤真健司を知ってるか?」
「ふじま?」
「日下3組だから、隣のクラスだろ」
「そうだけど、知らねー」
「藤真は、バスケ部なんだよ」
「・・バスケ部」

翔陽高校は野球も強かったが、バスケも同じくらい強かった。
インターハイの常連校でもある。
その高校の2枚看板である内の1つ、バスケ部所属だというのだ。その ふじま は。

「すげえらしいぜ藤真。
今、バスケ部はインターハイ予選中だろ。1年で、もうスタメンらしい」
「そうそう!翔陽バスケ部の歴史の中で、1年からスタメンってのは藤真1人だってさ」
「へえ」
「へえ、じゃねえよ。1年でスタメンでエース。こりゃ、すげえことだ」
「確かに」
「で、これってどっかで聞いたことある話だろ!?」
「?」
「かーっ!!鈍い奴だな!!まさにおまえのことじゃねえか」
「俺?」
「この強豪・翔陽野球部で、1年でスタメンでエース!!」
「・・・そう言えば」
「あっ!認めやがったこいつ!!」
「それはそれでムカつくな~!」
2人はそう言って、屈託なくげらげらと笑った。

1年でスタメンでエースが2人。
なるほど、だから ”双璧” か。
フィールドは、違えども。

「おまけに藤真のあのツラ」
「ツラ?」
「すげえの。フランス人形みてえ。超キレイなの」
「おまえがアジアの美形なら、向こうは西洋の美形だな」
「・・・アホらしい。野球もバスケも、ツラで勝負するわけじゃねーだろ」
「そうだけどよー、ほんっっとアレ、迫力なんだぜ!?見たら解るって!!」

騒ぎにもなっててよー! と言う2人が、すでに騒いでいる。
どうして騒ぎになるのか、日下にはまったく解らなかった。

だって、ここ、翔陽高校は男子高なのだ。

男が男に騒いで、何が楽しいのか全く解らない。

もっとも、それがキレイで可愛い女でも、日下は騒がなかっただろうが・・・
彼は、色恋沙汰に興味はないのであった。

野球以外には、まったく。



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・・・このチームメイトとの何気ない会話から2日後の、
6月に突入した、体育の授業の時だった。

翔陽高校では、体育は2クラス合同で行われている。
日下の3組は、4組と一緒だった。
ここで、1年4組の藤真健司を、日下は初めて認識した。

体育の授業は入学当初から体力測定をして、マット運動をしてと
個人でやることばかりだったので、他の生徒と絡むことがほぼなかった。

だが・・・ここへ来て、種目はバスケになった。




(あいつだな、バスケ部の藤真)

コートの外で観ていて――動きで、すぐに解った。

なるほど、確かに目立つルックスをしている。
周りとは、明らかに世界観というか・・造作や画素数が違う。
(今まで気付かなかったのが不思議なくらいだが、
元来日下は他人の外見にも自分の外見にも無頓着なのだ)

・・それでも、安城の言っていた”超キレイ”はやっぱり解らない。
キレイというのは、女に使う単語ではないのだろうか。

それに、 キレイ と呼ぶには、
彼は幼すぎる見かけであるように思った。要するに童顔なのだ。


それでも・・・
日下は、藤真に目を奪われた。

しかしそれは、大抵の人間が初め、彼のルックスにそうなるのに対して
日下は彼のプレーに対して、そうなった。

藤真健司は、”鮮やか” の一言に尽きた。
相手の3組にはバスケ部の規格外にデカい人間が2人もいたにも関わらず、
いとも簡単にそいつらを交わして――しなやかなシュートを次々決めてしまう。
それにあのパスのタイミング――手加減しているのだろうが、絶妙だ。
もっとも、バスケ経験のない生徒たちでは、それでも早過ぎて反応できていないようだが。

・・野球漬けだった日下には、バスケのことはほとんど解らない。
だが、ドリブルに、フェイクに、パスに、シュートフォーム。
芸術のことなど、バスケのことよりもっと解らない。
それでも日下は理屈抜きで、 ”藤真健司のバスケは芸術だ” と、この時思った。

――間もなく先生の笛が鳴り響き、チームの交代が知らされた。
そして日下は、藤真と対戦することになった――。



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「バスケ部入んない?」

・・コートから出て、壁にもたれかり息を整えていると
藤真健司が、そう言って声をかけてきた。

「・・・冗談」

何とか声を絞り出して、そう答えた。

試合時間はものの10分だったのに、日下はグッタリだった。
バスケと言うのは、走りっぱなしのスポーツだ。
細身で、(自分よりは)随分小柄で、体力もそんなにあるように見えないのに
涼しい顔でけろっとしている藤真に、少し腹が立つ。
野球部でも、日下に与えられている目下(もっか)の目標は、スタミナ作りであった。

「おまえ、すごいな。あんなに俺について来られる奴、ちょっといない」
「――ふんっ・・・やられっぱなし、だったのにか?」
「だって、俺バスケ部だもん。部外者に負けるワケにはいかないだろ」

あっさり言い放って、あっけらかんと笑う。眩しい笑顔だった。

表情がない(しかし何を考えているかは解りやすい、と周りは言うが)と
しばしば指摘される日下とは、この藤真はキャラクターが真逆のようだ。


「知ってるよ、おまえのこと。野球部のエースの日下だろ」
「・・・そりゃどうも。バスケ部のエースさん」
「ははは、俺のこと知ってるの?光栄だね」
エースと呼ばれて否定しない当たり、結構いい性格をしているのかもしれない。

「おととい、知った。うちの部の奴らが話してて」
「俺は随分前からおまえのこと、知ってたぜ?デカいし、目立つからな」

・・随分って、何時からだろうか。

自分は知らないのに、相手からは知られていたという事実が、こそばゆい。
今まで、人に知られていようが、知られていなかろうが
どっちでも構わないと思って生きてきた。
なのに今、この 藤真 に自分が知られていたことが、気恥ずかしい。
どの場面を見られていたんだろう。
自分のことを、どんな風に周りから聞かされているんだろう。

・・・でも、それは聞かない。
だが、初対面の人間に対してはめずらしく、日下から喋った。

「つーか、バスケ部って試合中じゃねえの?」
「は?」
「うちの部活の奴らが言ってた」
「あ、インターハイ予選のこと?そうだな。今、真っ最中。明日も試合」
「こんなことやってていいのかよ」
「予選中だからって授業免除してくれるワケじゃないしな。
お遊び程度にやる分には、問題ないだろ。部活だって、今日も普通にやるんだし」
「お遊び・・・」

そんなモチベーションの相手にたった今負けたと思うと、
相手が強豪・バスケ部のエースでも悔しい。
日下は・・とんでもない負けず嫌いだった。

「・・相手しろ」
「え?」
「もう1回、俺と勝負しろ。コート、入れよ」
「えっ!?何、バスケの楽しさに目覚めちゃった?野球部エース!」
「んなワケねーだろ」
「じゃあ、何?」
「とにかくおまえから、ゴールを奪ってやる」
「・・・へえ、できるもんなら、やってみな!!」
「ふん」
「あ、どうせだったらおまえがこの賭けに負けたらバスケ部に転部する、とかどう?」
「冗談」


・・この時から2人は、こんなやりとりをするようになった。
この冗談のような軽口な絡みが、日下は嫌いでない、と思った。

思えば、日下がこんな絡みをしたのは、今までで藤真が初めてだった。



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7月に入って、今度は体育の種目が野球になった。

「昔、やってたな」

野球部の奴らを押しのけて(先生が指名したのだが)
相手チームのピッチャーとしてマウンドに上がり、
ストレートのみならずスライダーにチェンジアップ、
シュートにカーブと次々変化球を投げ分ける藤真に、驚いた。
脚も速く送球も判断もスムーズで、打席もなかなかだった。
・・・これで、未経験のはずがない。


「バレた?小学校4年でバスケ部入るまでは、地元のリトルリーグにいたんだ」
それでも、やっていたのはわずか10歳の頃までか。驚くべき才能だ。
「どうしてやめた」
「バスケと出逢ったからな」
「今からでも野球部に変わんねー?」
「冗談」

・・そう言い返して、藤真は不敵に笑った。


この時に、バスケ部はすでにインターハイへの切符を手にしていた。
2位通過だった。神奈川の王者と呼ばれる、海南大附属に惜しくも破れたと聞いた。

自分は野球部の練習試合で見に行くことができなかったが・・・
こんなに不敵に笑う藤真が、その試合後には泣いたのだろうか。

・・・それを思うだけで、日下は胸が潰れそうになった。

自分たちは野球部は、7月下旬から甲子園大会の予選に突入する。
どの学校の誰が来たって負けるつもりはない。
だが・・・それがもし海南大附属であるなら、
徹底的にバスケ部の、藤真の敵を打つつもりだ。
当たって、ギタギタに叩きのめしたいとさえ思った。

しかも、安城と沼田から聞いた話によると
海南バスケ部の1年生に、怪物がいるらしい。
(彼らは非常に早耳で、どこからともなくこういった情報をキャッチしてくる)

その人物は色黒で筋骨隆々の高校生離れしたルックス――そして驚異のパワープレイ。
おまけに、ポジションはポイントガード。つまり、藤真と同じなのだ。

この藤真の白い細腕が、どうやってそのような大男に喰らいついていったのだろう。
この両者の闘いは波紋を呼び――、早くも
”No1ガードの双璧、海南の牧に翔陽の藤真”と呼ばれ始めたと聞いた。

(冗談じゃねー、 ”双璧” は、俺とこいつだけの呼び名だ)

そのポジションは、誰にも譲る気はない。
誰にも、入れさせない。
会ったことさえない、 ”海南の牧” にも。



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この頃には、日下は部活後に時々
体育館へ行き、バスケ部の練習を眺めることがあった
(とは言っても、それは毎回わずかな時間であったが)。

否、この言い方では少し語弊があるかもしれない――
日下が観ていたのは、バスケ部の練習ではなく、藤真の練習だ。

藤真は最後まで個人練をしていることが多いので、それが可能だった。

藤真のドリブルやシュートは、観ていて本当に気持ちが良かった。
彼の繰り出す独特のリズムや世界観に触れると、
何故だか心が落ち着いて、穏やかになれるのだった。

だから日下は――、野球でどれだけ投げ込んでも
違和感が取れない、調子が上がらない時は、迷わず体育館に向かった。


そしてうぬぼれでもなく――藤真も、日下に対してそう思っているようだった。

藤真は、時々夜のグランドに、ふらっと現れた。
そして日下が投げ込むのを、黙ってぼーっと観ているのだ。
・・・1度直接、理由を聞いたこともある。

「おまえが投げるの観てると、何か解んないんだけど落ち着くんだよ」

藤真は、いくらか照れたようにそう答えた。

「いくら好きでも、バスケばっかりやってると煮詰まるっていうか
思考回路も行動も一辺倒になる気がして。
スイッチ切り替えたいの。多分違うのも、観たいんだよ。
英語ばっか勉強してても伸びなくて駄目で、突然数学やりたくなるのと一緒だな」
「ふーん」
「おまえ、ピンと来てないだろ」
「あんまし」
「・・・ああ!解った!!もっといい例えが思いついた!
だから、ミュージシャンやスポーツ選手が一般人と結婚するようなものよ。
同じ分野の恋人と付き合うとさ・・それはそれで楽しいかもしれないけど。
”あそこ音程外してた”とか”あそこでスリーポイント打てば良かったんじゃないの”とか
うるさいこと、言われちゃうかもしれないだろ。それってムカつくし凹むだろ。
2人でいる時くらい、そんなこと考えたくないのに」
「何だそれ」
「あれ?駄目だった?」
「おまえミュージシャンでもスポーツ選手でもないし、結婚もしてねーだろ」
「そうだけどさ・・日下って、突っ込みの時だけ的確で、よく喋るよな」
「うるせー」

(日下は理由を聞いたのに、藤真には聞かれたことがない。
それがすでに理由が解りきっているからなのか、優しさからなのか、
単に理由に興味がないからなのかは、未だに解らない)


――どちらかがどちらかの練習を見学する・・・
そんな夜は、一緒に帰宅した。
お互い何を話すでも、なかったけど。

・・・それは日下にとって、
いつの間にか大切な時間になりつつあった。



*******************************



そんな7月中旬の、蒸し暑い夜のことだった。

甲子園の予選が、来週となっていた。
特別調子が上がらない訳でもないが――
この日も練習で必死に投げ込んで、ふと汗まみれの顔をあげて・・・
1番に頭に浮かんだのは、藤真のあの、キレイなシュートフォームだった。
あの、ボールがネットをくぐる、小気味好い音が聞きたい。

・・・日下は、早々と帰り支度をするとその足で体育館へ向かった。
その時点ですでに、21時を回っていた。

藤真は、いるだろうか?




・・・彼が体育館につくと、締め切られていない硬質な扉から、灯りが漏れていた。

ふと、違和感を感じた。

そうだ、理由は簡単。無音なのだ。
バスケットシューズの音。
ボールの撥ねる音。
ネットをくぐる小気味好い音・・・すべてがない。

中を覗いて観ると、案の定誰もいなかった。
藤真がこの時間に上がっている――ことも、時にはあったが。
それにしても、この煌々とした電灯。
・・・つけっぱなしで帰ってしまったのだろうか?

日下は藤真の不在を残念に思い・・
それから、それらの疑問に少し頭を傾けた。
事情は解らないがこの灯りは、せめて消して帰った方が良さそうだ。
(スイッチの場所など知らないけれど)

靴を脱いで中へ上がる・・・
つるつるする床の感触が、当たり前だがグランドにはない感覚で、新鮮だった。


ガシャン。


「?・・・・・・・・・・・・」

その時、奥から、何かがぶつかるような音がした。
もしかしてネズミ、とかいるのだろうか。学校には。

そして、再び、

ガシャン。


どうやらその音は、奥の体育倉庫から響いてきているようだ。
近づいていくと、中から小さな歓声のようなものが聞こえた。
歓声・・・否、これは歓喜に沸く声ではないように思う。
もっと、不気味な、悪戯や企みが成功した時の様な、異様な興奮状態の・・

・・・そうだ、これに似た声を昔、聞いたことがある。
日下自身が中学時代、先輩から集団リンチを受けた時に・・・?


全くワケが解らなかったが
日下は少しも迷わず、体育倉庫の扉を開けた。



******************************



・・・その状況を観ても、中にいた彼らより日下は驚かなかった。

驚く程、気持ちに余裕が無かったのだ。

視覚から迫りくる情報量が多すぎて・・・
感情が一気にオーバーフロー・・つまり、ショートしてしまって
何が何なのか、その状況を考えるに及ばなかった。

・・・まず、見えたのはこちらを振り返った男たちの・・
眩しいのか、不愉快なのか・・・とにかくしかめられた顔だった。
見たことが無い顔で(日下は人のなかなか顔が覚えられないので、
もしかしたら見たことがあるのかもしれないが)、4人いた。

そして、その男たちの奥に遮られるように――、白くて細長いものが見えた。
男のうちの1人が、その白いものに馬乗りになっている。
・・暗い体育倉庫に目が慣れるにつれ、浮かび上がって見えたそれは
床に敷かれたマットの上に転がされた、白い生脚だった。
・・・日下は、その脚が床を撥ねて、シュートを決めるところを
もう、何度もこの目で観てきた。

だから、すぐにそれが誰のものか、解った。



「・・おい!なんだてめえは」
「部外者!勝手に入ってくんなよな!!」
「センセーかと思って、俺、縮んじまったじゃねえか!」
「縮んだって・・どこがだよ!!」

そう言ってその4人は、下品にばらばらと笑った。
4人とも、日下と同じか、それ以上に身体がデカい。
バスケ部員だろうか。


「・・おまえデケえな。見かけないツラだが、1年か?」
「すげーイケメンじゃんか、女めちゃ喰えそう」
「待てよ・・こいつ、どっかで・・・?」
「!あ、こいつ野球部の・・・1年の日下じゃん!?」
「日下?・・・ああ、1年でピッチャー、エースでスタメンっつう?」
「そう!まさにバスケ部でのこの子みたいに」
「つーか、こいつ、この子とセットで ”翔陽の双璧” とか呼ばれてるらしいぜ!?」
「”双璧” って、”No1ガードの双璧、海南の牧に翔陽の藤真” じゃねーの!?」
「だからよー、この№1ガード様は ”双璧” の称号をすでに
2つも持っておいでなのですよーさすがですよねえ!!」

そう言って、自分たちの捕獲した獲物の追いつめた姿を
今一度、ねめまわした。冷めた笑いを交えながら。

「・・それにしてもおまえ、ふーん、エースピッチャーとはねぇ、
そりゃ大事な戦力だろうなぁ、野球部にとっては」
「俺たちと違ってな」
「3年から言わせりゃ、迷惑な話だよな。
ぽっ と入った1年に突然ポジション取られんだろ?」
「野球部のエースくんに教えといてやるよ・・・
そういう迷惑な話は、バスケ部でもあんだよ。
まさに俺らは、この子のせいで大変な迷惑を被ったってワケだ」

”この子”。
そう呼ばれている人物。

4人のバスケ部の3年生(どうやら)の間から、その人物の小さな顔が見えた。
いつも大きな目の瞳孔が、
暗さのためなのか緊張のためなのか――
さらに大きく見えた。まるで、暗闇のように。

それは、人形のような表情のない顔だった。

そしてその人形が、一言、力なくつぶやいた。

「日下、帰れ」と。掠れた声で。


何故、この状況でそんなことを言う?
さっぱり、解らない。




「ほらー!聞いただろ今の。この子も
おまえに早く帰ってほしいってさ。お呼びじゃないんだってよ!」
「人に見られてヨガる趣味はないってよ!」
「ははは、違いねえ!!」
「・・早く帰らないと、力づくで外、出すよ?」
「バスケ部も野球部も、大事な試合を控えてる身だから
こういう騒ぎはいけないよな?バレたら出場停止になっちまうぜ?」
「まー、俺らはどうなろうともう関係ないんだけどねー」
「そうそう!野球部も、甲子園予選もうすぐだろ?
・・そんな時にピッチャーが手や腕なんて、もしヤられたら困るよなぁ」
「できれば手荒なことはしたくねえからよ」
「俺ら、野球部に別に恨みねえし」
「・・さぁ、解ったらとっとと帰んな、ホラホラ!!」
そういって1人が、日下の胸を拳骨で強く叩いた。
そして、全員日下に興味をなくしたかのように、
暗い倉庫の中へと歩みよって行った。

そう、”この子”と呼ばれている彼の元へ。



「・・あー、トンだ邪魔が入っちまった」
「とっととやっちまおーぜ」
「俺1番いきてーんだけどいい?」
「ああ!?ざけんな。おまえ1番乗り気じゃなかったじゃねーか!」
「そうだって!”男相手に勃つかわかんねー”、とか散々言ってたじゃねえか」
「それがさ・・・こうなっちまって」
「うわっっ!・・エグいな!!ビンビンじゃん」
「おまえの、デケーな!!ブチ込まれたら超痛そう!!」
「そう言えば今までの女、みんな最初は痛がったな」
「この女泣かせ野郎!!」
「・・やべー!!もう、とにかく早くブチ込みてえ!チンコ痛くなってきた」
「何でそんなんなっちまったんだよ」
「わかんねえけど、こいつだったら男でもこの顔だけでイけそう!」
「・・だから、初めっからそう言ってんじゃねーか!!」
「そうだ、顔だけ見とけ顔だけ!!」
「俺は脚も好みだけどな」
「うわっっさすがエロさが違うなおまえー!!まぁ、俺もだけど」
「ははは、おまえもかよ!!」
「俺、口が良いんだけど、いい?」
「・・でもよお、噛みつかれたらどうするよ?」
「うわっ!それマジでカンベンー!!」
「今後使い物にならなくなっちまうじゃん!!」
「・・俺、超良いこと思いついた~!
こーすりゃあいいじゃねーか。おい可愛こちゃんよく聞け、
変なマネしたらおまえの形の良い白い歯ぁ、全部抜いてやるからな!覚悟しな」
「あ、それ名案ー!」
1人が、口笛を吹いた。
「根元までちゃんと咥えるんだよー?できるよねー?」
「こんな小さな口じゃ、顎外れちまうかもしれねえけどなぁ!!」
「なあ・・俺の精子、全部飲めよ?吐き出すなよ?
もしも吐き出したら、お仕置きだぜ?」
「・・歯抜けのフェラは、めちゃくちゃイイらしいからな」
「おまえ、そういう情報どこで仕入れてくんのよ?」
「まぁいいじゃねーか!・・ところで俺、下に入れたいんだけどナマでしていいよな?」
「ああ!?ゴムなんてそもそも持ってねーよ!!」
「女じゃないから妊娠しないし、いいだろ」
「おー!俺、ナマも中出し初めてだ!!すげー興奮してきた!!」
「おいおい!中出しまでする気かよ!!」
「どうするよ、男にハマっちまったら」
「それ、全然笑えねー!!」
「病気とか、大丈夫だよなー?」
「ていうか普通じゃ入んねえべ?濡らさねえと」
「ローションあんぜ」
「マジかよ!用意良いな」
「当たり前だろ!ドンキで買ってきた」
「ローション買ってもゴム買わないって、何か笑えるな!!」
「・・・つーか、この野球部の日下くんはいつまで見てるの?」
「あ、おまえまだいたの?」
「そう言えばこいつ、この子と仲良いって聞いたことあんぜ」
「マジかよ?こいつらどういう仲よ?」
「”翔陽高校のソーヘキ” だろ」
「それだけか?」
「・・・あ、もしかして日下くんも、俺らに混ざりたいとか?」



日下は長らくフリーズしていたが、もちろんすべての会話を聞いていた。
そして、その間に自分がしなければならないことを、確実に理解した。
行動に、移さなければ。
・・そう己を奮い立たせるまでもなく


ぷつん、


と、自分の奥の方で何かが切れた音を――聞いた気がした。



*********************




・・・誰かのために、自分が自分でなくなるほど
キレたという経験は、日下にとって初めてだった。

今まで、自分がリンチにあった時でさえ・・・
やり返したいという気も、不思議とほとんど起きなかったのに。
そうだ。あの時は・・痛いことは痛かったが・・・
どうでも良かったのだ。
自分自身のことだけだったから。

だが、今は違う。
彼のことだからだ。
事態は、深刻だった。



「はあ・・・はあ・・・・・はあ・・・・・・・」

日下は生まれて初めて人を殴ったが
まるで喧嘩の経験があるかのように・・それはスムーズな事の運びだった。

特に何も考えもせず、本能的に繰り出す拳と蹴りに、
見知らぬ3年生はどんどん倒れていき、
最後は散らばるように這うように、全員逃げていった。




そして・・・
今、薄暗くて埃っぽいこの体育倉庫に、日下と藤真は2人きりになった。


・・・ここで初めて、日下は藤真を振り返った。
藤真の方からだと、逆光かもしれない。
自分がどう見えているのか、解らないが。
目が合うと、彼は ビクッ と大袈裟に肩を震わせた。
相変わらず、暗闇のように大きな瞳孔で、自分を見上げていた。


「何で・・・言った・・・?」
「・・・・え?・・・・・・」
「何で、さっき、俺に、帰れ・・・って、ゆった・・・?」
「・・・・・・・・・・・・・・」
「どう、して?」

相変わらず小さく座り込んだまま、黙り込んでしまった藤真に
日下は目線を合わせるように、近づいて膝から座り込んだ。

大きな瞳。まだ、いつもより大きい、こぼれてしまいそうなくらい。
その奥が、揺らいでいる。うるんで、滲んでいる。
表面張力の限界がそこにあった。


「どう、して?」
「だって・・・・・」
「だって?」
「!・・ああ、やっぱり・・」
藤真が、悲痛な声をあげた。

「?」
「おまえケガ、してる。右手の爪。折れてるじゃないか・・・!」
「もしかして・・さっきは俺を、庇ったのか?」
「それより日下、血が・・・!手当、しないと」
「俺の質問に答えろ」
「・・・そんなんじゃないけど・・・お互いこんな大事な試合の前に問題起こして・・
おまけに無関係のおまえまで・・俺のせいで・・
巻き込むワケには、いかないじゃんかよ・・なのに!」
「・・・状況解ってんのか。あのままだったら、あいつらに犯られちまってたんだぞ」
「・・・・・・そうだな」
「それを、受け入れようと、してたのか・・・?」
「・・・・・・・・・・ああ」
「1回されたら、何回もされるぞ」
「・・・・・・・・・・ああ」
「馬鹿か、おまえ」
「だって・・・!じゃあ、俺はどうすれば!?
抵抗すれば良かったのか!?相手は4人もいたんだぞ!?
抵抗したって、どうせヤラれるさ!!おまけに指や手の骨だって折られるかも!
実際、無関係のおまえはそのせいで・・・俺のせいでっっ!!」

・・今さら取り乱し出した藤真に対して、日下は冷静だった。
藤真の頬を、軽く ぺちっ と叩いて 「俺とおまえは、無関係じゃねーだろ」 と言った。

そして叩いたその手をそのまま、藤真の頬に押し当てる。
冷たく、滑りそうな白い頬だった。

「・・・もう大丈夫だから。俺がいるから」


――見つめる藤真の大きな瞳に、
見る見るうちに涙が浮かんでくる。

それは決壊したダムのように――激しく押し寄せた波のように――
藤真の白い頬を、どんどん伝って滑り落ちてきた。

「う・・・・うう、俺・・・・俺っ・・・!」

震える藤真は、ハーフパンツ姿で・・上は何も着ていなかった。
部屋を見渡すと、彼が身に着けていたと思われるTシャツが、
マットの隅に丸めて放りだされていた。埃まみれだ。

・・日下は、自分のバッグから替えのシャツを出して
無抵抗の藤真に、それを着させた。
彼には、いくらか大きくて――ダボダボだったが。

着せ終えると、彼は日下の首根っこに抱きついてきた。
その、すがりついてくる身体が・・・小刻みに震えている。
藤真は、見た目よりも随分細く感じられた。
日下は――そんな藤真の身体を抱きとめ、優しく撫でた。

その後、藤真は日下の耳元で何度も
「ごめん」 と 「ありがとう」 を繰り返した―――。



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結局、あの時の事件は表沙汰にはならなかった。

おおっぴらにして得をする人間が、誰もいなかったからだ。

日下と藤真は部が試合に出られるように振る舞わなくてはいけなかったし、
あの時の犯人の3年4人も、部活はともかくこれから進路が重大な時機であるのに
暴力沙汰でそれを棒に振るワケにはいかなかったのだ。

それでも、日下はその4人にあの時のことを黙っていること条件に・・・
暴力的な脅しももって、バスケ部から即刻、退部させた。

いくらスタメンでないとは言え、あんな事件を起こした彼らと
藤真が今後も一緒にやっていくのは、引退まで例えわずかでも・・・
その精神的苦痛は、計り知れないと思ったからだ。
(藤真はその事については何も言わなかったが)。

何より日下が、藤真とあの時の男たちが少しでも一緒にいるのが、耐えきれなかった。


・・それから何カ月か後に藤真の口からぽろっと
”あれから体育倉庫に入れなくなった。情けないよな”
と零れたのを聞いた。
”トラウマかな”と笑っていた・・・。

部活の準備は1年がやっているはずで、倉庫に入れずにどうしているのかと尋ねたら
”俺は天下のスタメン様だからそんなことしなくていいの”と冗談っぽく答えていた。
明らかに・・・無理していた。

同じ1年には長谷川や花形など気の回る人間が何人かいるから、
藤真の異常を察してうまくやってくれているのだろう。

藤真は、本人が意図せずともたくさんの人間に守られている。
引きずり降ろそうとする人間もいるが――彼を守ろうとする数や威力が、
その負の力など及ばない程大きくなれば良い、と日下は思った。



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・・・こうして、あの時のことは日下と藤真、2人だけの秘密となった。

あれから2人は、ずっとこの距離感でやってきた。
それなのに。

その均衡が、ついにこの前崩れた。

まさかのキッカケだった。
何せ、藤真の悪戯が発端だったのだから。

もう少しで・・・皆の前で全て解ってしまうところだった。
(否、鋭い人間はもう気付いてしまったかもしれない。
安城や沼田、バスケ部の花形、長谷川などは)

何時からか、必死で日下が隠し通してきた、この感情の真実を。



・・・そしてとうとうあの晩。
藤真がグランドに来た、あの晩だ。

自分の感情が、溢れ出して暴走した。
制御不能になった。
日下は、自分から藤真に、濃厚なくちづけを・・・。


・・それからずっと・・・
日下は、毎日悩んでいた。

藤真には、ずっと告げるつもりはなかった。
この気持ちを抱いたまま、卒業するものと心に決めていた。

――それなのに。


”あの時”の、藤真の涙が鮮明に蘇る。
バスケ部の3年4人に囲まれて、体育倉庫で、されるがままになろうとしていた藤真。

・・・これでは自分は、いつかのあいつらと同じだ。
力づくで、自分の欲望の赴くまま――藤真を手に入れようとしたなんて。

自分がいつかそうするために、
藤真の事を今まで守ってきたワケじゃない。
そもそも、守って欲しいなんて藤真の口からは一度も聞いたことがない。
ただ、日下自身がそうしなければ気が済まなかっただけ――。

だが。
自分でも、解らない。

あの晩。グランドで――
藤真があそこで続きを制止しなければ、絶対に自分は藤真に胸の内を告げていた。

――結局、自分はそうしたかったのか、したくなかったのか。


解らない。


ただ、最後まで、確信まで言わなかっただけで
さすがの藤真にも、もう自分の気持ちは解りきっているだろう。

結果的に、余地を残しただけだ。
彼が、勘違いするふりができる余地を。
彼が、日下が、あえて見なかった、何も無かった、
気付かなかったフリをする余地を。

藤真は――今後どうするのだろうか。
何かを言ってくるか、何も言わないか。
何かをしてくるか、何もしないか。

何も言わないで、何もしないで、今まで通り、まるでなかったかのように・・・
過ごして欲しいと、最後までそうあって欲しいと、ずっと思っていたはずなのに。


溢れだした心は、もう止められない。


そう、
それは決壊したダムのように――激しく押し寄せた波のように――

自分を、相手を飲み込み、
そしてその後を知りたがる。

そう、結論を。


・・・果たして自分はこれで良いのか、解らない。


押し寄せる感情の波に、双璧は立ち向かえるのだろうか。
この壁を崩していいのだろうか。
飛び越えていけるのだろうか。
2つのものではなく、1つのものになりたいと、願って良いのだろうか――。


日下は、ここのところ毎日
この己の出口のない感情と葛藤しているのだった――。


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こんな残酷な話を書いたのは初めてかも。
神藤は、残酷でも愛があったし・・・。
日下くんが阻止してくれて本当に良かった・・・(>え)

2013.07.25 大安

24日の晩、自分の手のひらの上で蝉が幼虫から成虫へと変体しました。
あの震える30分間を、自分は一生忘れないでしょう。
素晴らしい思い出をくれた夏蝉へ、愛を込めて。ありがとう。


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