仙藤祭2013
湘南グライダー:青春プロローグ ③逢うは別れの始め |
それは11月半ばの寒い、真冬の入り口のような1日だった。 吹く風はまるで頬を叩くか、刺すかのような冷たさだった。 ・・・しかしそんな中でも、湘南の空にはいくつかのグライダーが舞っていた。 パラグライダー、ハングライダー。 橙、紫、赤、緑、青・・・それぞれ色とりどりで、幻想的な世界観。 ――日没まで、遊覧飛行を楽しむのだろう。心行くまで。 ・・・一方のその男は、陸にいた。 お気に入りの場所である、湘南・腰越港の堤防の先端で、 お気に入りの曲である、トライセラトップスのフィーバーを口ずさみながら しばしば行う行動に出ていた。 ちなみに”しばしば行う行動”とは、海釣りのことである。 実行しているその男は、陵南高校1年の仙道彰だ。 彼は強豪・陵南バスケ部のエースだった。 補足しておくが、今日はオフではない。 だが、彼はよくこう言ったマイペース(これはかなりポジティブな言い方で、 一般的にはルーズと言うのだろう)な行動を取っており、 それは否が応でも周知のことになりつつあった。 ・・・そこへ、いつもは見かけない顔がロードワークに来た。 実行しているその男は、翔陽高校2年の藤真健司だ。 ちなみに、彼も強豪・翔陽バスケ部のエースだが この場合はサボタージュではない。 ・・彼は単に、本日は体育館が設備点検で使えないため、部活ができなかったのだ。 縁とは、巡り合わせとは、摩訶不思議。 ”しばしば”と、”いつもはしない”。 ”たまたま”と”偶然”。 そんな気まぐれや奇特が、重なり合って1つの新たな道ができていく。 ・・否、道ですらないのかもしれない。 それは、きっとただの点と点。 だから重なり合っても、点なのだ。 ただ人間が、そこに道を見出したいだけ。 この道で合っているのか、周り道か、もしかすると脱線か・・・。 道など、最初からないのに。 晴天に散らばるグライダーや、夜空に舞う星や惑星のように、本当は自由。 (ただ、人間はその自由すぎる状態が逆に恐ろしく、 不安定で不自由なのだろう。だから道を作る) そして点同士の接触は、衝突は、 運命なのか、そうでないのかは、何時まで経っても、どこまで進んでも解らない。 きっとこの先も、それが解ることもないのだろう。 だって結局それは、解釈1つでどうとでも転んでしまえるから。 解釈・・・ それは漠然としていて、掴みどころのないものだ。 答えを出そうとした人物のその日の気分に、大きく左右されるとも言える。 そのように、瞬間瞬間で形を変えるものなら―― 例えば過去とは、変えられないものと言うが、それは実際に起こった事実のみを言うのであり そこに伴う感情と回想は、流動的で不確かなものなのだ。 ・・・そんな風に色とりどりなのに曖昧で不安定、 まるで空を行き交うグライダーのような世界観の中、ただ1つ解ることは。 とにかく、そんな風にしてこの日 仙道彰と藤真健司の2人は 2人きりで出逢った、と言うことだ。 諺にあるように、例え ”逢うは別れの始め” でも。 ******************************** ・・・部活、部活で毎日生活していると、たまに休みが降って沸いた時に 何をして過ごして良いのか、解らなくて困る。 だから・・・結局いつもと同じことを、違う場所でするハメになる。 藤真はいつもより時間をかけたロードワークで、この海岸に来た。 どのくらいぶりの海だろうか。とにかく、海が見たかった。 走っていて・・ふいに堤防で釣りをする人物の姿が目に入った。 ・・そしてその人物が、どうやら自分の知っている人物だと気付いても いつもなら、彼はそのまま通過したかもしれない。 自分にとって特別親しいわけでもない、 その人物程度の知人であるなら、確かにいつもの彼なら、そうしてきた。 だが・・・この日、彼はそうはしなかった。 その人物に対する好奇心もあったが、 それより何より、今思うとその時藤真は ひとりでいたいのと同じくらい、誰かと一緒にいたかったのだ。 (ひとりでいたいのに誰かといたいというのは完全に矛盾しているが 藤真には ”人恋しいのに構って欲しくはない” といったような面倒臭い感情を 持て余すところが、普段からあった。人前でそれを出すことは、稀であったが) ・・・その ”一緒にいてくれる誰か” が、 今走りながら段々目の前に近づいて来る人物であるなら おあつらえ向きである気がした。 この時の藤真は、自分と近い、親しい人間の方に気を使い 逆にあまり親しくない人間や、初対面の人間の方に 気を使わず話をすることができたから、尚更だ。 この性質は、外弁慶から来ている――藤真は確かに昔、外弁慶であった。 親しい人間だと関係を保つため慎重になり努力もするが、 そうでなければ気を使う必要も義理もないという、 何とも外弁慶の彼らしい、持論ゆえの癖であった。 ******************************* ・・一定の速度で走り続けていると 今さらだが、その男が随分近くまで迫ってきていた。 藤真の繰り出す足音で、釣り竿を座ったまま海面に垂れている男が、顔を上げた。 やっぱり。 そこにいたのは、藤真の思った通りの人物だった。 陵南高校1年の、仙道彰。 ・・・仙道の第一声は、単音だった。 「あ」 だから藤真も、単音で答えた。 「・・・よっ」 「どうしたんですか?」 「ロードワークだ」 「ここまで?」 「今日は、部活がなくて時間あったから遠出。 さらにちょっと道を変えてみた」 「そうだったんですか」 「おまえは、ここで何してるの?」 「見て解りませんか?釣りですよ」 「でも、釣る気はない」 「・・ヒドいな~、そんな風に見えます?」 「見える。だって本気で釣る気の人たちは、 ここから1キロ先のテトラポットで釣っている」 「ああ、あそこね。今ならメバルとアイナメ狙いかな」 「ほら!おまえは魚場知ってるのに、それでも行かない」 「だって、あっちは混み混みしてて嫌なんです」 「本気で釣る気なら、そこに重きを置くのがそもそもおかしいだろ」 「ははは、もっともだ」 「ここは全然ダメなんだろ?だから人がいない。そしておまえもボウズ」 「俺、ボウズに見えますか?変だな」 「実際、1匹も釣れてないだろ」 「ええ、だけど、髪の毛は今日も逆立ってないですか?」 「・・・おまえ、つまんねー冗談言うのな」 「藤真さんにそう言ってもらえるなんて、嬉しいなぁ」 「・・全く褒めてねえよ」 藤真はそう言って笑いながら 仙道の隣に座ろうとした。 「あっ?ちょっ・・!」 仙道が慌ててポケットを探り、藤真の方に四角いものを差しだしてきた。 アイロンをかけていないのか、少々使ってそうなっているのか・・・ ちょっとくしゃけた、真っ青な色のハンカチだった。 「?何、これ」 「下に敷いてください」 「は?」 「座るんなら、お尻に・・・って、え?」 「・・気にしねーよそんなの」 「そうですか?」 「おまえ・・・誰にでもこういうことするのか? 相手が例えば、魚住や牧でも?」 「何で魚住さんや牧さんに、ハンカチを差し出すんです?」 「だろ?じゃあ、何で俺には渡したんだ?」 自分は、ブロックに何も気にせず直で腰掛けているのに。 「いえ・・どうしてかな、藤真さんだからかな」 「何だよそれ・・気ぃ、使うなよ」 「別に、気を使ったわけでは」 ・・・仙道はつい自然と、反射的にそれをやってしまっていた。 それが何故かは、自分でも解らない。 これで相手が他の男だったら、例えそれが他校の先輩でも・・ 間違いなく、そんなことはしなかったと思う。 自分がもしも誰かにそうするなら、少なくとも女子・・・ ひらひらの揺れる素材のスカートとか、 ヒップのラインがわかる、タイトな白いパンツとか。 ・・・そう言った女子特有のものが、汚れないために、きっと。 ・・だが、今自分の隣に座る藤真は間違いなく男子で しかも、色っぽさの欠片もないジャージ姿なのだ。 おまけに首からスポーツタオルもぶら下げている。 ・・・そんな彼に対して、 どうして仙道は自分がそうしてしまったのか、解らなかった。 そしてそのことに一瞬疑問を持ちはしたが、深く考えることもしなかった。 (仙道は元来何事にも執着しない性格で 思考や理屈より、感覚に従って生きるフィーリング人間である) それよりも・・・ 藤真が自分の横に腰を下ろしたことに、少し驚いていた。 今始まったばかりのこの2人だけの時間は・・・いつまで続くのだろうか? (ひと休みか、暇つぶしかな) それなら・・・この時間はとても短いのかもしれない。 ・・仙道としては、その時間は 長くても短くても、どちらでも構わなかった。 藤真とは、今まで数回試合をした他に・・ 神奈川選抜の合宿で一緒になったことがある。 彼のことは、嫌いではない。 ――ただ、勉強を教わった(特に数学)以外に特に話した覚えもないので 好き・嫌いが判断できるほど、親しくないだけとも言える。 (もっとも、良くも悪くも執着しない仙道に ”嫌い” と言える程 偏った感情を抱かせる人物など、ほとんどいなかったが) 仙道にとって藤真は、バスケどうこうすら、あまりなかった。 もっとも2人はライバル校のバスケ部員同士ではあるけれど(しかもお互いエース) 学年も違い、ポジションも違う。無理はない。 その時はまだ藤真に対して、 ”頭が良くて結構気が強くて、妙に顔がキレイな人” という認識しかなかったから・・・。 ********************************** ・・・沈黙が心地良い関係というのは、とてもありがたい。 どんな関係でも、家族でもチームメイトでも恋人でも、最終的にはそうあって欲しい。 だが・・藤真と自分がこうなるとは、随分意外であった。 気を使う必要もなく、まったりした沈黙。 それでも、明らかにひとりきりとは違う、安心感のようなもの。 この一見無意味か暇つぶしに見える時間の中で・・・ 仙道の中での藤真の位置は、かなり底上げされた。 彼は、藤真のおかげで新たな自己の嗜好に気付いた。 (俺はどうやら、沈黙を一緒に過ごせる人間を求めているようだ) ・・女は親しくなればなるほど口数が増えるが、 男は逆であると聞いたことがある (だから、女子の需要と男子の需要は、 親しくなればなる程、悲しいかな決して重ならない)。 ・・・仙道も、男の例外ではないということだ。 もっとも、藤真とは親しいはずもなかったけれども。 相変わらずの沈黙で、海の方を見たまま、お互い目も合わせない。 こんな関係も時間の使い方も、悪くはない。むしろ・・・。 その時だった。 ! 目の前で繰り広げられている優雅なグライダーの演舞・・・ 青のパラグライダーと、緑のパラグライダーが、有り得ないくらいに接近した。 あ。空中接触するかも。 そう、声をあげそうになった瞬間、 藤真がそれにはまったく関係のない言葉を発した。 「ねぇ、おまえさぁ・・・したこと、ある?」 ******************************* ・・・一方の藤真の心境は、仙道とは若干事情が違っていた。 遠くまで一心不乱に走りすぎて、さすがに疲れ切っていて 喋る気も、立ち去る気もまったく起きなかったのだ。 そうでなくとも最近・・・ひとりで少しでも空白の時間を作ろうものなら この前のグランドでの日下暁の言葉が、 行動が、自分を抱きしめる腕の力強さが・・ そして唇の感触が・・・鮮明に蘇り、襲ってくる。 (あー、駄目!ストップ!!) 藤真は、そのイメージを払拭するように激しくかぶりを振った。 仙道が横目でちらっとそんな自分のことを見たのが解った。 ・・それでも、何も突っ込んで来ないのが、ありがたい。 そんな揺らいだ心境の昨今の藤真にとって・・・ ここでこうして誰かと静かに海を眺めていられるのは、幸せであった。 黙ってただ海を見ているなら、誰かといてもひとりでも同じなのでは?・・・否、 (それって、全然違うんだ) と、藤真は確信した。 仙道が、隣に、確かにそこにいる。 ・・その不思議な存在感と許容感に、少しおかしいくらいに、支えられた。 心なしか、彼が座っている自分の右側が熱い気さえしてくる。 もちろんお互いどこも触れてはおらず、 それどころか50センチくらい離れて座っているんだからそんなはずはないのに。 (仙道って、蒸気発するくらいに体温高いのな) と、藤真は無茶なことを、少し本気で思った。 そんな風に仙道の場合と事情は違うにせよ・・・ 藤真の中でも、仙道の位置が幾分か底上げされた。 藤真は、思い出した。 (そうだ、この空気感。誰かに似ていると思ったら・・) 親友の、長谷川一志だ。 そう言えば、背丈も髪形も似ている。 この長谷川は、クラスメイトやチームメイトから とにかく相談事を持ちこまれるタイプの男だった。 藤真自身も、相談に乗ってもらった覚えが何度かある。 長谷川は、とにかく口が堅くて毎回話を真剣に聞いてくれる。 ・・・否、それなら、花形透だってそうだ。 だが、事後処理が違う。打ち明け話を聞いた後が。 花形は、「それは○○なんじゃないか」とか「それは△△するべきだ」とか アドバイスというか、結論を出すことに重きを置いてくる。 そして時には、自分の話のせいで花形まで一緒に落ち込ませてしまったりする。 それに対して、長谷川は「うん、うん・・・ああ、」とひたすら話を聞いてくれるだけだ。 「どう思う?」「どうしたら良いと思う?」とこちらから聞かない限り 彼が自分の意見を言う事はない。 そして彼は、相談に釣られて一緒に落ち込んだりはしない。 相談者の状況や感情を理解はしても、共感はしないタイプなのだ。 ・・・相談を持ち込む場合、相談者は 自分ですでに、その答えを持っていることが多い。 ただ、その答えまでの経緯を誰かに導いて欲しい、 または誰かに知っていて貰いたい、共有して欲しい、 出した結論はそれで良いんだと、同意して貰いたい・・・。 だから心理カウンセラーなど、傾聴を仕事としている人間は 極力、自分の意見を言わない。 相談者自身が、自分で結論に掘り下がって行くのを、手伝うだけだ。 ・・結局人は、自分の出した結論にしか、納得しない生き物なのだ。 (人の出した結論に従った場合、極端に言えばうまく行っても宗教の信者が、 失敗すると「あいつのせいだ」と責任転嫁するターゲットができるだけだ) ・・・長谷川一志は、見事にそれを無意識にやってのけていることになる。 (彼のような人間は将来、カウンセラーになるべきだと藤真は思っている) だが・・・今回の場合、相手の日下が長谷川も知っている人物であるので 相談する事ができなかった。 (もちろん、相談したとして長谷川からそれが漏れることはないとしても) 何より、日下とそういうことがあった事実を、日下を知る人物に知られたくなかった。 そんな長谷川と、タイプは違うにせよ・・・ (長谷川は真剣に話を聞いた上で真摯に、 仙道は話半分にしか聞かない上で自由に放任に、悪く言えば無関心に) 仙道も、きっと相談事を皆から持ちこまれるタイプだと思った。 相談者は、この無関心さに救われるに違いない。 彼に相談しているうちに、自分の問題としていることが 大した問題ではないようにすら、思えてくるのではないだろうか? ・・そんな突然降って湧いた信頼感からの、嬉しさだったかもしれない。 つい、他の人間にはすることのない質問を、藤真が口にしたのは。 「ねぇ、おまえさぁ・・・したこと、ある?」 藤真は前を見たまま、まるでひとりごとのように呟いた。 ・・・海上に漂うパラグライダーの、青色と緑色の距離がやけに近い気がした。 他の派手な色より、その2つが何故か妙に眩しくて・・思わず目を細めた。 ********************************* ・・・青と緑のパラグライダーは、あわや衝突、というところを回避して 両者、早々と一定間隔を保って、また飛行を続けている。 陸では仙道と藤真がお互い沈黙のまま、 何十秒かが、経過した。 ・・・仙道は、”それ”が何のことなのか、一瞬解らなかった。 そして、次の瞬間には”それ”が解った気がしても・・ 果たして”それ”が、正解なのかが解らなかった。 (彼は一体、俺に何を聞いた?”何を”したことがある・・・と・・?) 仙道は、めずらしく混乱した。 ・・だから、無言のまま、藤真の方を、ただ見た。 足りなかった言葉の補足を、促す様に。何気なさを装いながら。 それでも・・自分の顔には、少なからず 隠しきれない、驚きの色が浮かんでいることだろう。 ・・・一方の藤真は、仙道がそうしてもしばらく、海を見つめたままだった。 綺麗な横顔だ。仙道は見惚れた。 16年間生きてきて中で見た、1番綺麗な横顔かもしれない。 やがて仙道の視線を感じてか、藤真がこちらを向き直った。 ・・今まで取りとめて特別な表情がなかった顔が、 みるみるうちに羞恥に紅く染まって行くのを・・・仙道は見た。 まるで、仙道に質問した内容の意味を、 自分でもたった今、理解したかのように。 ・・・仙道より、質問を投げかけた藤真の方が驚いているのだった。 「あの、藤真さん・・・?」 「あ・・・」 藤真は必死に何か言葉を繋ごうとしたようだが、何も出てこないようだった。 半開きになった唇のまま、大きな瞳を何回もしばたかせた。 その度に長くて密度の濃いまつ毛が上下して、 その音が、波の音よりも大きくこちらまで聞こえてきそうだった。 「”したことある?” って、何を?」 「・・何って・・・俺、一体何ゆって」 藤真は、今度は妙に早口になった。 (こんなに恥ずかしそうにするっていうことは・・・ 質問の意味するところは、俺が思ったので当たりか?) でも、何故? 確かに同級生や先輩の中には、こう言った類の話が異常に好きで 馬鹿みたいにそんな話をひたすらしていて、それこそ 遠慮なく、興味本位丸出しで赤裸々に尋ねてくる輩もいる。 ・・・でも、彼はそういった人間ではない気がした。恐らく違うだろう。 だいたい、そういう人間なら尋ねてから、こんなリアクションを取るはずがない。 「俺・・・おかしいよな、うんおかしい。 忘れてくれ!!・・・もう行くわ。邪魔したな」 「!待って」 ・・・そう言って焦って立ち上がろうとした藤真を、仙道は左手一本で止めた。 彼の、右手首を掴んで。 掴んだその細い腕は、意外なくらいに細かった。 見た目より、ずっと。 意外な事に、その細さと接点に 仙道の心臓が どくり と大袈裟に拍動した。 「待って・・・まだ俺、質問に答えてないですよ?」 「答えって・・・」 「藤真さんが聞いたんだよ?・・・俺、したこと、あるよ」 藤真の目を見つめたまま、言った。 すると彼は何故か泣くのを堪えるような表情をして、 それから、紅かった顔をますます紅くして、気まずそうにうつむいた。 その表情が、何を意味するのか解らなかったが ただ・・・仙道の胸に・・押し寄せるひとつの感情があった。 これは間違いなく、抱きしめたい衝動。 今、自分の右手が釣り竿など握っておらず 自由に使えるのであったら間違いなく、この瞬間に藤真をそうしていた。 彼に対して、たった今・・・・。 「・・・藤真さんは?」 「・・え?」 「俺に聞いといて、藤真さんは答えないの? したこと、あります?それとも、ない?」 「俺・・・!?」 藤真は、仙道の質問に心底驚いた表情を見せた。 それは、恐怖にも少し似ていた。 それでも、覚悟を決めたように、言い辛そうに答えた。 「俺・・も、あるよ・・・キスしたこと」 ・・・今度驚かされたのは、仙道の方だった。 仙道はてっきり セックス のことだと思っていたからだ。 まさか藤真が キス のことを言っていたとは・・・。 ・・昨今の中高生たちの性に関するレベルは、 それ自体への関心も実際の経験も、年々早熟になってきたとは言われても 実際今も昔も、そんなには変わっていないんだろう。 進んでいる人は中学生でもすべて知っているし、 (それどころかきっと何人もと経験があるし) 逆に何も知らないでそのまま良い年の大人になる人も、 どの時代も一定の割合、いるのだろう。 それこそ、人それぞれだ。 ・・そんな中にあって、 仙道は間違いなく”進んでいる人”に分類されるのだろう。 彼のそういう方面に関する噂は、誰に話した覚えもないのに、何故か常にある。 (その中の半分くらいは正しいので、まったく嘘ならいざ知らず 仙道は持ち前の面倒臭さで、否定することをしないのだった。周りはそれを肯定と取っている) だから恐らく、藤真も仙道をそう言う ”経験豊富”な人間と見ていたのではないかと思う。 だから、相談を? ・・否、そもそもこれは、相談、なのか? 仙道は思う。 藤真の場合は、どうであろうか?恋愛経験は? 正直、考えたこともないし、考ようとしてもまったく解らなかった。 仙道の勘だが・・・彼は奥手の部類の人間だ。根拠はないけれど。 (ああ・・・根拠なら今、目の前にあるじゃないか) こんな風に顔を紅くして、心なしか大きな瞳を潤ませている彼。 それに、”したこと” あるかとわざわざ聞いてきたことの 目的語は、セックスではなく、キスで。 仙道はこの時初めて気付いたのだが・・・ 何故だか解らないが、セックスのことを話すよりも キスのことを話す方が、断然恥ずかしい。 セックスは、”まだやってない” ”もうやった” で片づけられる。 ・・・でも、キスは? 何を語ればよいと言うのだ。 どこでした?誰とした?どんな風にした?それでどう思った・・・!? ・・・混乱する仙道を余所に、 藤真は自分の経験を切れ切れに話し始めた。 「初めては・・中2の時・・名前も知らない、見たこともない女の子だった・・・ 学校から帰る途中、道端で、いきなり、突然、されたんだ・・・ 驚きすぎて何が起きたのか、しばらく解らなかったよ。 ・・すぐにその子も走って逃げちゃうし。 それから、1度もその子を見ていない・・」 「それって・・・」 「散々だろ?最初がそんなんだったからか・・俺、 元から恋愛とかにあんま興味なかったのに トラウマみたくなっちゃって・・ますます嫌になっちゃってさ・・」 「・・知りもしない人間に突然されたら、そうなるのかもしれませんね・・・」 たかだかキス。 でも、初めてがそれでは、そうなるのかもしれない。 「・・ただの口同士の接着って言えばそれまでなんだろうけど・・・」 「でも、1番最初がそれ、は厳しいですよね」 「ああ・・俺、自分から しよう、したい、と思って 誰かにしたことって、ないんだ。この前だって・・・。 あ、この前はそうか、元はと言えば最初は俺が・・・ いや、でも最終的にはあいつが突然・・・っ」 「・・・・・・・・・・・・・・・?」 ・・・突っ込みどころがたくさんありすぎて、 仙道は言葉が繋げなくなってしまった。 今の彼の言い方だと、 彼がキスをした人間は、今まで2人しかいない、ように聞こえる。 しかも、初めては中2の時、突然襲われて。 そして2度目は・・・何時? ”この前”とはそう遠くない過去のようだが。 その2度目・・・、詳しくは解らないが どうやら藤真が今悩んでいるのはその2度目に関すること、 つまり ”この前のキス” のことらしい。 ということは・・・もちろん・・・ その先のことなど・・・彼は未経験なのだ。 ・・・仙道のファーストキスが何時かと問われれば 記憶があって、しかも下心があって・・ となれば小学校高学年の時、クラスの娘とした、あれだろう。 でも、そこから先、誰とした とか、 何回した とか、はっきり覚えていない。 さらに言うなら、きのうも仙道はキスを何回かした。 相手は、同じ高校に通う同じ年の彼女だ。 もちろん、キス以上のこともしたのだが・・・。 「・・何を考えてるのかわからなくてさ・・・ 友達で、親友でずっとやってきたはずなのに・・!!」 「藤真さん、ちょっと落ち着いて・・」 「なぁ?どんな時にキスってしたい?どんな相手にしたい?何で?それってやっぱり・・」 「どんな時、って・・・」 考えたこともなかった。 藤真は、きっと明確な答えがないと気が済まない人間なのだ。 自分のように曖昧な考えでは、言ったところで納得しない。きっと、響かない。 ただ、キスをしたい瞬間があって、それをしたい人が目の前にいる。 ・・・そう、仙道自身が今、藤真に対してそうであるように。 「あいつ、何でだよ・・何で急に、キスなんか・・・!」 「藤真さん・・・あいつって誰?」 「!!・・ああっ!もう・・何で俺こんなことをおまえに・・・!・・忘れてくれ!! 俺、たぶん混乱してて誰かに話、聞いて欲しかっただけだわ。 でも、それがおまえなんて・・すまん!!俺おかしいな、本当にもう行くから」 「ちょっ・・藤真さん、待ってってば!」 ・・・勢いで手を振り切ろうとした藤真を、 仙道は抱きすくめるように押さえ込んだ。 その拍子に、右手一本で持っていた釣り竿が、派手な音を立てて海面へ落下した。 だが、それの持ち主の仙道も、抱きすくめられている藤真も、 そちらには少しも・・・意識を払えない。 「せ、せんどう・・?」 「藤真さん、今から俺の家に来ない?近くなんです」 「えっ・・!?」 「だめ?」 「・・え?だって、何で・・・?」 「勉強・・そう、ベンキョー教えてほしいんです。 今度の数学、授業で当てられそうなんです。解らないところがある」 「勉強?数学?・・・」 「はい・・だめ、ですか?」 腕の中で小さく固まるように、されるがままになっていた藤真の 肩を抱いたまま・・・顔を覗きこんだ。 咄嗟についた後輩口調のヘタな嘘に、 藤真は疑いを孕んだ瞳をしばらく泳がせていたが・・・ ・・・おかしな質問をぶつけたことに、罪悪感を持っているからだろうか。 仙道の目を確かに見つめ返して・・顎を少し引いて、小さく頷いた。 小さな顔が紅潮しているのは、緊張のためか。 羞恥のためか。はたまた。 ・・まるでその様子は、年端もいかない少女が 拙い知識を総動員して、男性の誘いの危険度を判定しているようで。 その証拠に、彼の瞳には少々 仙道の雄の部分に対する、怯えの色が浮かんでいる。 ・・何故か、藤真のその様子がたまらなくいじらしく思えた。 このまま・・抱き潰してしまいたい衝動にかられる。 もちろん、そうしたくても、しなかったけれども。 ・・とにかく今、このまま藤真を帰してはいけないと、仙道は直感していた。 彼を部屋にあげて・・自分が今から何をしようとしているのか、 何がしたいのか、確実に解らないけれど・・とにかく。 このまま帰したら恐らく、 ”この前キスしたあいつ” のことを、彼は散々考える。 そしてそれは、恋愛感情に変わることもあり得る。 ・・・漠然とだけれど、そんな気がしたから。 そしてもしそうだとしても、何故それを自分が阻止したいのか まだこの時は仙道自身、よく解らなかったけれど――。 そう、青と緑のグライダーは、飛び立ってしまったのだ。 一度飛び立ってしまえば、着陸するまで決して中止できない。 それが例え緊急着陸でも、不時着でも。 ・・・これから先は、ノンストップの演舞の始まり。 そう、例え逢うは別れの、始めでも。 ********************************** 煮詰まっていたところを TRICERATOPSのFeverという曲に助けてもらった。 これは、仙道が藤真に歌った曲に違いない・・・という妄想。 2013.07.16 友引 (お手数ですが、ブラウザでお戻り願います) |