・・・藤真を起こすのを諦めた牧は、そのままエレベーターに彼を担ぎこんだ。
そして自室のある、最上階・32Fのボタンを押す。
相変わらず意識のない藤真を部屋に上げ、
ベッドに寝かせるととりあえずジャケットを脱がせてハンガーにかけた。
「ん・・・っっ」
自分の首に掛かっている緑のシルクタイを掴んで
藤真が苦しそうにのたうつのを見て、慌ててネクタイも外してやる。
・・・そして第一ボタンを外してやると、楽になったのか、ピタリと大人しくなった。
艶かしく浮き出た鎖骨。
細くて白いうなじ。
上気した紅い頬。
ごく っと、自分の喉が音を立てたのに気付いて、動揺する。
・・・藤真相手に、自分は何、ヘンな気を起しているんだ。
今夜は、香坂室長がずっとおかしなことを言うのを見ていたから
影響されているだけなんだ。そうに違いない。
・・自分に言い聞かせる。
勝手にそう結論付けた牧は頭を降り、
自分もジャケットを脱いだり、浴室に湯をはったりした。
・・・それから10分もして風呂が沸いたチャイムとアナウンスが聞こえた時、
藤真が突如 ぱか と目を開けた。
「おっ?気付いたか」
「・・ここ、どこ?」
「俺の家だ」
「牧の家・・?」
「おまえ、記憶ないのか?」
「あるようなないような・・・」
「大丈夫か」
「・・・水、ちょうだい。ちょっと頭、痛・・」
「まったく。飲みすぎたんじゃねえのか」
「・・いつもよか全然飲んでねーよ。
だけど、寝不足の時とか、疲れてる時とかは回りが早くなっちまう」
藤真は牧と違って酒に強かった。
普段はいつもいくら飲んでも変わらず、酔っぱらったところ等見たことがない。
・・牧が水の入ったコップをやると、
藤真はそれを両手で大事そうに受け取り、ごくごくと一気に飲み干した。
「・・サンキュ。ちょっとスッキリした。迷惑かけて悪いな。俺、帰ろうかな」
「もう電車ないぞ」
「げ・・日付変わってんじゃん!!」
「記憶どころか、時間の感覚もないのな」
「仕方ない。タクシーでも呼ぶかな」
「・・・まぁ・・おまえさえ嫌じゃなければ、泊まっていけ。見た通り、誰もいない家だ。
目が覚めたとはいえ・・・まだ相当酒が残ってるだろう」
「マジ?」
「・・まぁ、こんな機会、そうそうないしな」
藤真はしばらく頭を少し横に倒して考える素振りをしていたが、
「・・じゃあ、お言葉に甘えようかな」と言った。
「・・悪いな牧。先に風呂まで入らせてもらって」
「気にするな。酔いは少しは醒めたか?」
「おかげ様で、だいぶ」
「・・げ!!おまえ、何で下履いてないんだ!?新しいやつ、出しといただろ!?」
「だって・・悔しいけど、おまえのやつ、腰回り大きすぎて。履いても、落ちちまうんだもん」
「だもん、ってなぁ・・!!」
「下着は履いてるし、いいだろ?・・それよかおまえ、また筋肉ついた?
身体、絶対大きくなってるだろ。やっぱり現役は違うねえ」
「・・まぁ、それも仕事だからな」
「違いない・・このパジャマ、上も大きいなぁ。
・・これはこれで、こういう着物っていうことで良いだろ?」
風呂から出てきた藤真は、牧のパジャマの上を着ていた。
下は落下してしまうし・・上も、相当ブカブカのようだ。
まるでポンチョのようになっている。
その姿が、滑稽だが、可愛らしい。
実際にお目にかかったことはないが、
彼氏の服を無理矢理着た女の子など、こんな風に目に映るのかもしれない。
それにしても・・・身長差はそこまでないはずだし
高校時代はここまで顕著な体格差もなかったような・・・。
・・時間は、人の外見を変える。
牧のパジャマの上で半分隠されている、藤真の白い太もも(細いので、太ももと呼ぶのがはばかられるくらいだ)に目が止まってしまい、頭を振って、振りきった。
「あ、ドライヤーはそこ」
「サンキュ」
「・・?おい、お前なんか目の下白くないか?」
「ん?・・げ!神部さんにコンシーラー塗られたんだった・・忘れてた」
神部さんとは、ベテランの女性社員のことだ。
「コンシーラー?」
「何か、化粧品の部分用ファンデーションみたいなやつ。
目の下クマがすごいって指摘されて、そんなので発表会出るなって」
「ファンデーション?」
「これって普通の洗顔で落ちないのかよ~困ったなぁ」
「・・ちょっと待ってろ・・コレを試してみろ」
「何それ」
「落ちると思うんだがな。ちょっと目ぇ閉じてろ」
牧はそれをティッシュに含ませると、藤真の目の下をこすった。
「ぎゃっ・・!何か気持ち悪っ・・」
「もう少しだから我慢しろ・・よし!洗い流してこい!!」
「なんかベタベタする~」
藤真はぶつくさ言いながらも洗面所に向かった。
「・・あっ!落ちてる!」
「ほらな」
「すげー!何これ。さっきのボトル、見せて」
さっき藤真に塗ったのは、メイク落とし――クレンジングだ。
付き合っている彼女が・・家に泊まる時用に、置いていったのだ。
「・・ふーん」
藤真も、女のものだとわかったに違いない・・牧は、何だかそれが嫌だった。
藤真に、彼女の存在を知られたくないと思っていた自分の感情に気付いて、少し驚く。
「サンキュ。助かった」
それなのに、特に関心がないのか・・触れてはいけないと思っているのか・・
何もそのことには触れず、藤真は笑顔を見せた。
メークを落としたことによって現れた目の下のクマは、そんなにひどくはない。
でも、コンシーラーを塗っている時より、幾分疲れて、儚げに見えた。
何だか、切ない。
・・・牧は、急に自分の手がむずむずしだしたのが気持ち悪かった。
なんだ、このむずむずは。
・・俺は、もしかして、藤真を抱きしめたがっているのか?
牧は少し前に見た、夢を思い出す。
この部屋で、このベッドで、
牧は藤真と、一糸纏わぬ姿で抱き合って・・。
・・こんなことでは、いけない。
「彼女のなんだ、メイク落とし」
牧は、意を決して自分から言った。
藤真を抱きしめたい気持ちと、決別するように。
だいたい、突然自分自身がこんな感情の葛藤に立たされたこと自体、おかしいのだ。
「ふうん。おまえ、彼女とかいたんだな。まぁ。いてもおかしくないか」
藤真が関心したように頷きながら言う。
「ああ・・まぁ」
「ふーん」
「だが、彼女というよりは・・」
「うん?」
「実は・・来年、結婚することになった。だから・・婚約者、かな」
「うそ。まじ?」
「今、初めて身内以外に言った」
「俺1番?」
「だな」
「おめでとう」
「ああ」
「・・・おめでとう・・で良いんだよな?」
「・・そうなんだろうな」
「だろうな、ってなんだよ」
「おまえこそ、何故疑問形で聞く?」
「だっておまえ、何か腑に落ちない顔してるからさ」
「・・実感がわかないんだ。まったく」
「なるほど」
「まぁ、何はともあれ・・そういうことになった」
「何?押し切られたの?」
「そうでもない」
「自主的?」
「それもどうかな」
「・・わかった!妊娠したんだ!」
「・・・おまえ、俺の事どういう男だと思ってるんだ?」
「じゃあ何だよ」
「・・色々あるんだ」
「ああ・・おまえくらいだと、お家柄のこともあるか」
「ふん・・」
「にしたって・・なーんだ、結婚かよ」
「なんだとは、何だ」
「だって・・牧は、俺のこと好きなのかと思ってたからさ」
藤真はそんなセリフを、普通の何でもないのひとコマのように、
別段意識することもなく発した。
仕事中に『その車種、設計変更出たから』と告げる時のように。
・・牧の方は、心臓が止まりそうだったと言うのに。
その藤真のセリフは牧にとって・・衝撃――――だった。破壊力抜群だ。
藤真はどういうつもりで今の言葉を言ったのか。
真意を測りかねる。
「・・好き・・・ってなんだ。そりゃ好きだろお前のことは。
何年一緒にやってきてると思ってる。学生時代から」
藤真に対して“好き”などといったことがあったか?
藤真相手でなくても、なかったかもしれない。
・・答える声が、震えた気がして焦る。身体の温度が、一気に上昇する。
「他校生だったってのに、変な言い方だな。俺たち、一応ライバル校だったろ?」
「ああ。だが・・海南で同じバスケ部だったヘタなやつより、
おまえとの思い出の方が、よっぽど残っている」
言いながら、牧は本当にその通りだと思った。藤真との方が――。
「それはありがたい。何年一緒にやってても、好きになれなかったり
近くにいても、何とも思わなかったりするやつはいくらでもいるのにな。
・・・てゆーかおまえ、なんてビミョウな顔してんの」
「・・おまえがヘンなこと言うからだろ」
「冗談だろ、冗談。あ、高野のときに踊ったダンス、おまえの結婚式の余興で踊ってやろうか?
おまえが俺を、式に呼んでくれればの話だけど」
「重役もたくさん来るのに?」
「やっぱり?牧一族来るの?」
「もちろんだ」
「じゃあ社長も常務も事業部長も?」
何だか藤真は、楽しそうだ。
「ああ」
「すげー式だな。でも踊れって言われたら踊れるな。俺、もうそういう役回りに慣れた」
「悲しサガだな」
「ほっとけ。こっちの方が、生きていきやすいぜ」
「・・式にはもちろん、おまえにも来て欲しい」
「お、呼んでくれるのか」
「だが・・踊りは遠慮しておく」
「それは残念」
・・俺はどうやら藤真を式に呼ぶつもりらしい。
そう思った自分に、牧は驚いた。
普通に考えて、呼んでもおかしくない。
いや、付き合いの長さから言っても、会社での関係から言っても、呼ぶべきだ。
・・だが、牧は藤真を、呼びたいが呼びたくないのだ。
その、はっきりしない自分の感情に、思わず顔が歪む。
自分で自分がわからない程気持ちの悪いことはない。
残念ながら一般的にそれは、よく起こりえることだが。
しかし元来牧は、そのような迷いの少ない人間のはずなのに。
(このモヤモヤはなんなんだ・・・)
とりあえず、藤真とあまり、このことについて話したくなかった。
・・そんなことより。
もっと、もっと別のことを話したい。
自分のことより、藤真のことを話したい。
藤真のことを聞きたい。もっともっと、知りたい。
アウトプットばかりしていては、一向に相手のことは解らず終い。
そんな時間の使い方は、今は浪費だ、と思う。
同じ部署にいながら、こんな機会滅多にない。
そういえば、藤真のことは知っているようで、実は自分は何も知らないのかもしれない。
牧にとっては、藤真ほど自分のプライベートを知っている人間はいないというのに。
藤真から、もしかしたら自分は何も知らされていないのではないかと思ったら、妙に焦った。
・・今夜牧は、山ほど藤真のことをインプットしたかった。
だから・・とりあえず、話題を変えようと思った。
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<BGM>
*吉井和哉 点描のしくみ
*ストレイテナー OWL
牧さん、結婚しちゃ嫌ぁぁぁー!!
って、藤真よりあたしが嫌がるww
藤真は嫌がってるのか・・は、わからない。どうでしょう?
2013.04.20
(お手数ですが、ブラウザでお戻り願います)
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