ここまでお読みいただきまして、ほんとうにありがとうございます。
ここに書きました当時の食事、便のたし方、犬の大量死などは、肉親から聞いた実話です。
このお話は、これで終わりです。


・・・・・・・表にはまた子供たちの元気な声が、
始まったばかりの冬の寒さにも負けずに響いている。


藤真は、今でもときどき思うのだ。

あの9月26日の夜は、嘘だったのではないか。

長く恐ろしい、自分の中だけの悪い夢だったのではないかと。

今でも、思うことがあるのだ・・・・・・・・・。




君よ、共に。



次の日は、前夜が嘘のように、眩しいくらいに晴れた。

自衛隊が、舟に乗って救助にきた。

この辺りは、大きな流木が出なかったのでまだいい、と言っていた。

貯木場の辺りの家は、流れ出した木材によって、ほとんど家がなぎ倒されたらしい。




台風から2日後、舟に乗って大がやってきた。

頭が、包帯ぐるぐる巻きだったが、『こんなの大したことない』と、
いつも通り勝気だった。

みな、特にチビたちは大の無事に大泣きして喜んだ。


大から、宏明入院しているの辺りの病院は土地が高く、
ほとんど被害がなかった、ということを聞いて、ほっとした。

「宏明もう退院できるらしいけど、家がこんなんじゃ帰ってこられねーな」
 と、大が寂しそうに笑った。




浸水から一週間経ったころには、純が戻ってきた。

体中、傷だらけであった。


何人も、助けたらしい。

だが、途中で突然乗っていた家が大破して、濁流に投げ出されたらしい。

そして気がつくと隣の隣の町で、名も知らぬ人たちによって看病されていたらしい。

なんと、3キロ以上も流されたようだった。


・・・・・・藤真の足も、ほどなく良くなった。

だが、水はそう簡単には引かなかった。

結局屋根裏での生活を、あれから二十日以上は強いられた。

食事は、配給で・・・1日2個の、何も入っていない消毒の臭いのするおにぎりを
食べて、済ましていた。

便所も、木の樽にしていた。これがほんとうにイヤだった。


でも何より可哀相に思ったのは、

多くの飼い犬が、庭で鎖をつながれたまま溺れ死んだことだ。

藤真は、そのことを思いながら愛犬の喜々を力強く抱きしめた。






・・・・・・・・だが、そんな状況でも子どもたちはいつまでも暗くなかった。

水が大人の腰の辺りまで引くと、皆肉親を、配給を、それぞれの目的を求めて
水の中を浸かりながらも移動するようになる。


「きゃーーーーーー!!!!」


女の人の悲鳴。それを聞いてチビたちが、めずらしく楓までもが笑っていた。

藤真の家の前を移動していたその女性は、ヘビに追いかけられていたのだった。

水中で足を取られながら必死にもがく女性と、スイスイ泳いでいるヘビ。

笑ってはいけないと思いつつも、思わず藤真も笑ってしまった。



1ヶ月もすると、ようやく水も完全に引いた。

家が大破しなかったおかげで、水が引いてからの復旧作業はわりと早いものだった。

子供たちの笑顔も、ほとんど完全に戻った。
・・・楓だけは、あのヘビ以来また、あいかわらず無表情だが。








・・・・・・・・あれから3ヶ月。

牧は。

牧は死んだと、皆は言う。

いや、口には出さないが、誰もがそう思っている。


純と行動を共にしていた牧。

牧も、ずいぶんとたくさんの人を助けたらしい。


だが、

2人が足場としていた家が、崩れたのだ。

純が隣の隣町まで流されたのは、そのときだ。

純自身そこで気を失ってしまっていて、牧がどうなったかはわからない、と。


大に連れられ半ば無理やり、近くの小学校に見に行きもした。

台風が明けてからその小学校は死体収容所となり、死体が次々と収容されていた。


ひどい、ものだった。

その死体のほとんどが土左衛門だった。

水に長い間浸かっていたため、ふやけてぶくぶくに膨れ上がっていた。

そして幸か不幸か、そこに牧はいなかった。



・・・・・結局、藤真たちは牧を身元不明者の写真でしか確認することができず、

葬式も遺体なしで、供え物も線香もなしで済ましたのだった。








「たけるーー!!降りてこいーーーっっ!!」

あれから3ヶ月たって、勇気と望の小さかった仔猫たちも、ずいぶんと大きく育っている。

みんな母猫の望に負けず劣らず勝気な猫ばかりだ。

しかし、その中で一匹。

昔の父猫の勇気にそっくりな、いつまでも臆病で小さい猫がいた。

猛・・・・『たける』と名づけられたその猫は、

どうやら今、プレハブの屋根に登ったはいいが降りてこられなくなったらしい。


「たけるーー??!!おまえ、それでも猫か?!情けない!!」

どこが『猛』なんだよ。名は体を現すってのはウソだな。

・・・・・・まったく、昔の勇気にそっくりだよ、おまえは。







・・・・・・・牧は。


牧は死んだと、皆思っている。


だが、


藤真は、


牧は、死んでなどいないのだと。


どこかで生きているのだと。


生きているならば、牧のいないというこの状態をどう説明するのだ、と言われれば、

牧は、一時的にいないだけなのだ、と。

今は事情があって戻って来られないだけで、

いずれ絶対自分のもとに帰ってくるのだと、

・・・・・・そう思っている。




あいつは約束を、ぜったい守る男だ。


前にあいつが用事で名古屋の駅にでかけたとき、

帰りに名店のチョコレートを山ほど買ってきてくれって頼んだら、

あいつはほんとうに山ほど、抱えきれないくらい買ってきた。


オレの誕生日の前日に、

ラジオの天気予報が明日は大雨だって言うのを聞いて、

いやだ、つまらないとオレがぶつくさ言っていたら、

牧は、

『じゃあ明日はオレが晴れにしてやる』 って自信満々に笑って言った。

・・・・・そして次の朝2人とも、

ウソみたいに眩しい朝日で目が覚めたんだ。



だから、

今回も、あいつはぜったい約束を守る。

どこかで、ぜったい生きてて、

必ずオレのもとへ帰ってくる。





それでも、

牧は死んだ、死んだのだとオレに思い込ませようとする皆や、
心の黒い声にオレは言ってやる。


少なくとも。

オレの中であいつは今も、オレと共に生き続けてるって。

何度でも、何度でも言ってやる。






でも。

ときどき、だけど、

ほんとうに、寂しいんだ。

ときどき・・・いや、毎日、かもしれない。

体にぽっかり大きな穴が空いたように、

ほんとうに心が空っぽになる。



一緒に学校にいけないとき。


一緒にバスケしようって思って、そこにおまえがいないとき。


チョコレートを見て、おまえを思い出したとき。


どうしようもなく会いたいって思ったとき。


・・・・・・抱きしめてもらいたい不安な夜に、おまえがいないとき。



そんなとき、オレはほんとうに心がからっぽになって、

変わりに涙が溢れそうになる。





今日までは、

今日までのことは許してやるから、

今すぐ、

今すぐ戻ってこい。

これ以上待たせたら、

『牧・欠乏症』で、

オレ、死んじゃうかもよ??




「まぁ、おまえがそれでもいいって言うなら別だけど
・・・そんなこといったら・・・・・・・」



『殺ス』


・・・・・・・そんな恐ろしいことを思って1人にやりと笑っていたら、

「ニャ〜〜〜〜ン・・・・・・」

プレハブの屋根の上で、忘れるな、早く助けろと言わんばかりに、
猛が情けない声で鳴いた。


「わかってるよっっ・・・・・・っったくもーーっっ!!」

オレが高いところ苦手って知ってて、わざとやってないか??おまえら親子。






・・・・・・・オレは物置からはしごを引きずり出して、屋根に架けた。

「いいか、今いくから動くなよ!たけるっっ!」





・・・・・・・そういって、はしごを掴んだオレの手に、


大きく優しく温かい・・・・・・・・あの牧の手が重なった気がした。