予感があった。
恋に落ちるって予感が。
そしてそれは、
生涯最大の恋になるって予感が・・・・。
学校からは、思ったよりもずっと早く帰ってくることができた。
でも、それが少し寂しくもあった。
これといって、やることが無いのだ。
高校に入ってバスケ部に入った。
部活・・・といってしまったが、できたばかりの同好会扱いのものである。
なんせ、部員が藤真を入れて4人。
去年までは6人いて、なんとか続けられていたのが3年生の卒業で4人になり、
今ではなんとか、部ではなく同好会ということで続けさせてもらっているのだ。
中学のころも11人という、とても多いとは言えない人数であったが、普通にゲームもできたし試合にも出れた。
それが4人では・・・・・・・。
だから今日も放課後、まっすぐ帰ってきてしまった。
テニス部やバレー部は、たくさん部員がいてきちんと活動もできていてうらやましい。
・・・しかし、藤真がやりたいのはあくまでもバスケだった。
(・・・・あと1人。あと1人いればな)
・・・・そんなことを考えながら玄関の鍵をガチャガチャやっていると、
ちょっと離れたところで勇気の泣き声がした。
『勇気』というのは、猫だ。オスの黒猫である。
もともと野良だったが、藤真の家の庭に住みついた。
さらに藤真家の飼い猫、ミケのメス猫の望(ノゾミ)と恋仲になり、
ちょうど1ヶ月くらい前に出産。
亡き父の書斎であった一番北の部屋にて、彼女は4匹の仔猫の子育て真っ最中だ。
飼い猫たちの夫であり、父親の勇気。
だから勇気は藤真家の飼い猫同然といえばその通りであった。
『勇気』という呼び名・・名前は藤真がつけた。
悲しいかな、勇気には、勇気がない。
とても臆病な猫で、藤真の家以外の人間の前にはほとんど姿を見せないし、
妻猫の望には完全に尻にひかれていた。
『勇気』を持った猫になってほしい、少しでも『勇気』を持てるように、勇気。
その勇気の鳴き声が、いつもより弱々しい気がした。
愛犬の、柴犬の喜々がプレハブ近くの桜の木の方を睨んで吠えている。
不信に思って鳴き声のすると思われるプレハブ横の桜の木のところまでやってきた。
「勇気・・・・・??・・・・・・・・・ゆうき??!!どうしたんだそれ・・・!!」
木の下にいた勇気は、前足にひどい血を滴らせていた。
車にひかれたんだとしたら、あんなものですむはずはない。
猫同士の、ケンカ・・・・??
しかしそれにしたって。
勇気が歩いたあとには、ぽたぽた血の滴があとをつけていた。
「ゆうき!!手当てしなきゃ・・・・・」
そういって慌てて手を差し伸べた、が。
勇気はひどくおびえた様子で、その傷ついた前足をもって、
桜の木に高く高く登っていってしまった。
「ゆうき!!!」
木登りができるなら平気・・・なんていってられない。
勇気がうずくまった頭上の枝に、血が染みているのが見えた。
「ちょっっ・・・・・、勇気、降りてこい!!!」
勇気はまったく藤真の言うことを聞く様子がない。
登る?木に、登ってみる??
(こ、わい・・・・・)
いかんせん、藤真は高所恐怖症だった。
幼いころに大と屋根に登って遊んでいて、足をすべらせて落ちたことがあるのだ。
幸い、大事には至らなかったものの、それからというもの、
高いところがトラウマになってしまっていた。
でも、
(言ってられない。こわいなんて)
早く傷を確認しないと、手当てをしないと大変だ。
ゆうきに、『勇気』と名づけたのは、勇気をもってほしかったから。
自分が、それを見せられなくてどうするのだ・・・・・。
藤真は小さく息を吐いて、大きくそびえる桜の木を見上げた。
「今いく、待ってろ勇気!!」
そういって、桜のざらざらした木の幹に手を置いた。
・・・・・そのとき。
その藤真の手に、大きな日焼けした手が、重なった。
体中を、電流が走ったかと思った。
驚いて振り返ったが、逆光で顔が見えない。でも、まったく知らない男だ。
「・・・おお、あれは大変だ。まってろ・・・・・・」
・・・・まるで鼓膜から足の裏まで響くような、低く、優しい声だった。
その大きな手の持ち主はそう言い残すと、大きな体からは想像もできないような
身軽な動作で、どんどん上に登っていった。
すぐにその男は勇気のいるところまで追いついた。
「ほら、こっちに・・・・・痛っっ・・・」
・・・・男は、手を差し伸べたところを勇気に引っかかれたようだった。
勇気はほんとうに臆病で、人に抱かれるなんてこと、したことがない。無論、藤真にも。
考えられた事態だったが、無事を願わずにはいられなかった。
「ゆうき!!じっとしてろ・・・・、頼むから!!」
思わず叫んだ。
「・・おまえの飼い主も心配してるぞ。ほら、大丈夫だから・・・・」
その男は、引っかかれても懲りずに勇気に近づいて、
ついに、勇気をその手に抱きとめた。
勇気は・・・・・不思議なことに、今度はまったく暴れていない。
そして勇気を腕に抱えた男は、スムーズな動作で巨木から下りてきた。
・・・・・大きな、たくましい体。
自分とは対照的な、浅黒い肌。
それはそれは男らしい容姿で。
体中から優しいっていう、寛容だっていうオーラを発していた。
・・・・・完璧に、見とれていた。
「・・・もう大丈夫だ、そんな傷は深くないみたいだぞ」
・・・・・その男の言葉に、藤真は正気に戻った。見とれている場合などではなかった。
「ゆうき!!・・・・・ほんとうだ」
傷は、本当にちょっとでもう血が固まり始めていた。
あんなに出血していたのがウソのように。
勇気自身、その男の手の中で信じられないくらい落ち着いていた。
「でも傷、念のために水で流してやったほうがいいかもな」
「!ケガ、してるじゃないですか!」
・・・・・・・勇気がその男を引っかいた傷のほうが、ひどそうだった。
「うわ・・・・すみません、うちの猫が・・・・
手当てしなきゃ・・・家、寄ってってください」
「いや、こんなもの大したことない・・・・」
「あなたは一体・・・・・・・・・」
そのとき。
「・・・・・・まき」
藤真と男、2人して振り返った。
と、声の主は藤真家の白黒テレビ・・・『月光仮面』目当てで現われた楓だった。
「・・・まき??」
この男の、名前か??
「おお、楓か。元気だったか??」
その『まき』と呼ばれた男は、楓を見ると白い歯を二って見せながら笑った。
「お、楓おまえ、また背伸びたな」
そういって楓の頭に手をやろうとしたけど、楓は迷惑そうにそれをよけた。
「まったくあいかわらず可愛くないな、おまえは」
そういって男は苦笑したが、嬉しそうだ。
「・・・・まき、手どうした」
「ああ、これか・・・・ちょっとな」
「あなた、楓と知り合いですか??」
「ああ、・・・・・・・おまえ『藤真』だろ」
そういって『まき』は笑った。
「なんでオレの名前知って・・・・」
「俺は牧紳一。こいつとは・・・楓とは従兄弟だ。
明日からおまえと同じ高校に通うために、今日から魚住家に居候だ。・・・よろしくな」
ってことはこいつが。
コイツが例の・・・・・・・・。
「もっと、年上かと思った・・・・・・・・」
「・・・よく、言われるんだ」
そういって、牧は渋い顔をした。
「あ、そんなことより勇気にやられた傷・・・・」
「大丈夫だ」
「いいから・・・・入れって!オレと同い年なんだよな?
じゃあ、タメ語で良いよな。楓、おまえも上がれ」
「・・・・強引なやつだな」
そういって、牧がまた笑った。
その笑顔に、
一瞬で胸が痛くなった。
・・・・心臓をわしづかみされた気さえした。
もう、逃げられない。
そう思った。
「ごめん、さっき言いそびれてたけど・・・・」
「ん?」
「さっきはありがとう、勇気を・・・猫を助けてくれて」
だから、自分も精一杯の笑顔で礼を言った。
もう、完全に覚悟は決まっていたから。
君よ、共に。