牧は周りから天然だの鈍感だのと言われており、それは実際に的を射た指摘であり
事実であるのだが・・鼻だけは確実に敏感である。
彼の少し敏感すぎる鼻・・嗅覚はたくさんのことを教えてくれる。
先ほどすれ違った品質管理部の水矢さんは喫煙室に行ってきたようだし、
事務の相差(おおさつ)さんはいつもと香水が違う。
(いつもは柑橘系。だが今日はフローラル系とでもいうのか、甘い匂いがする)
・・・3課の鎌田さんは、今日はコーヒーでなくココアを飲んでいるようだし、
4課の深見課長の家は、どうも柔軟剤を変えたらしい。
そして・・今年の花粉飛散量は多いようだ。この鼻の粘膜の、違和感は。
そこまでひどくはないが花粉症を齧っている牧にとっては、憂鬱な自体である。
・・2013年4月某日の金曜日、13:30。
K電産神奈川本社内、A館14Fエンジン生産技術部のフロア。
「あれー!?牧さん!!」
「おう清田、調子はどうだ?」
「絶好調っす!牧さん、今日はこんな時間にどうしたんすか?」
いつもバスケの練習がある牧が、昼間から会社に来るのは珍しいことで。
「今日は内外講演の日だろう。14:00からKホール」
「あっ!牧さんも聞きに行くんですね」
「当然だ」
「俺も行きます!神さんも行くって言ってました」
「もう向かった方がいいな。混みそうだ」
「そうっすね。伊藤さんはもう先に出ました。花形さんと待ち合わせしてるとかで。
ホールに入れない人たちのために会議室で中継するって言ってたけど・・生で見てぇ!!」
「藤真の晴れの日だしな」
「藤真さん、応援してます・・くーっ!」
「・・おまえ、応援は良いが発表中に声上げたりするなよ?」
今日は内外講演の日だ。藤真が成果発表をする。
発表者は各部署のエース級で、藤真以外は全員課長以上の役職を持つ人間だ。
主任で発表者を任された藤真は、いわば異例の抜擢なのだった。
・・・牧たちがKホールに到着すると、1000人収容できる会場が、早くもほぼ埋まっていた。
「うわっ!すげー人!!」
「牧さん、信長~、こっちこっち!」
かなり前の方に、神が座っていた。
「神さんっ!」
「席、取っておきましたよ」
「すまんな」
「会えて良かったです。あそこに花形さんと伊藤くんも座ってるよ」
「おお、あいつらも」
「何か緊張しますね~、こんなたくさんの人たちの前で!藤真さん、大丈夫かなぁ」
「あいつは、人前で喋るのには慣れているぞ」
「だけど、さすがにこんな大人数はなくないですかぁ?」
「それはそうだが」
「牧さん、最近の藤真さんどうでした?
俺、今週火曜日に通勤で偶然一緒になったんですけど・・相当忙しそうな様子だったなぁ」
「どうかと言われても・・ここのとこ、藤真をまったく社内で見かけなかったからな。
設計室にいると誰かしらに捕まるから、どこかに隠れて今日の資料を作っていたんだろう」
「あー、でも午前中はいつも席でフツーに仕事してましたよ?
今週一週間、ほとんど寝てないみたいだったけど。クマまでできちゃって!
・・・それでもパフォーマンス落ちないんだから、やっぱすげーっすよ藤真さんは!」
「そうだな、あいつは働き過ぎだ・・・これが終わって、少しは休めれば良いんだが」
「あ、始まりますね」
・・・照明がやや落ち、司会が出て来て本日の発表会の概要を説明し始める。
発表者たちが続々と舞台に上がってきた。
その中には堅くてクールな表情をした、藤真がいる。
・・その表情に、牧たちは見覚えがある。懐かしい。
高校時代にライバルの翔陽バスケ部で、
彼が監督をしていた時の表情と同じだから。
もちろん、あの時の緑のユニフォームとスタジャンは、もう見られない。
・・・その代わりに首元に上品に結ばれた、緑のシルクタイ。
スーツのジャケットの襟には、金色のバッチが光っている。我がK電産の社章だ。
『・・・それではさっそく発表に移ります。
プログラム1番、エンジン生産技術部2課・主任の藤真健司による・・』
「げ!!藤真さんトップバッター!?」
「清田、静かにしろっ」
紹介された藤真は少し大股で、
まるでモデルのように颯爽と舞台中央に歩み出た。
この人、カリスマだ。カリスマ会社員だ。
あまりに絵になるその様子に、清田は思わず口が開いてしまう。
「エンジン生産技術部2課で主任をしております、藤真健司と申します。どうぞお見知り置きください。私のテーマは昨年の12年度、弊社エンジン部一丸となって取り組んでおりました、
生産性向上活動についてです」
藤真が、いつもよりもやや低音の声で明朗に喋り出した。
低い声の方が心理的に説得力を持たせられることを、知っていてやっているのか。
よく通り、他人に有無を言わさない、それでいて心地よい、不思議な声色であった・・。
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BGMは、嵐のCosmosで。
次の話からは物語が動きそうです。
2013.04.14
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