嗅覚テレポーテーション第6話
ブルームーン |
「ひとまず、Y駅まで出てください」
・・・本当に有り得ない事になった。
酔っぱらって意識をなくした藤真を何とかタクシーに押し込んだ。 引き際を香坂室長に見つかり、『藤真ちゃんなら俺が送って行く!』 と騒いでいたのを聞こえないフリを決め込んで、かっさらうように連れてきた。 タクシーがすぐに捕まって良かった・・。 しかし。 本当にトンデモない一日になったものだ。 「藤真っ、藤真・・!おまえ、家どこだ!?」
・・藤真は、相変わらず眠ったままだ。 そう・・・だからこれは、不可抗力だ。 牧は、藤真を自分の家に運ぶことに決めた。 「・・すみません、行先変更してください」 **************************** 今夜も例外ではなく・・・それどころかここ数日間の中で、特に寒いようだ。 大気は澄みきり、真冬の夜の匂いがする。
牧は、抱え込んでいた藤真の頬をぺちぺちと軽く叩いた。 「藤真、着いたぞ」 まったく、どうしてこんなことになったのか・・・。 道理で寒いはずだ・・と思ったがそれは勘違いで。 ・・雪だと思ったそれは、街路樹である桜の花びらだと気付く。 ・・・桜など、今まで観る余裕がなかった。 当たり前だが、今年も咲いていたのか。 とても、綺麗だ。 ・・そうしてしばらく見惚れていると、穏やかに舞っていたはずの桜の花びらが
「・・うわっ!?なんだ・・!?」
息もできない程の疾風に、牧はしっかりと藤真を抱きしめた。 ・・・まるで、絵に描いた様な幻想的な光景が広がっていた。 牧は、驚きのあまり言葉を失いかけた。 ・・だが、絞り出すようにしてこの事実を藤真に伝える。
「ふ・・藤真っ!」
それは、今にもぶつかってしまいそうな程。 そして正にそれは。
ヒトの隠したい部分も、潜在意識も、本能も、本音も・・・ ・・・この月の意味は、『完全な愛』か『できない相談』か。 はたまた、グレー。パラドックス。その両方―――おそらく、真実はいつも。 その時、牧の鼻腔を懐かしい香りがくすぐった。 そう、牧はその香りを、匂いを 以前に・・遠い昔に・・どこかで知っていた。 この匂いは・・。 周りを見渡せば、いつの間にか 牧と藤真を囲むように、一面に不思議な花が咲き乱れていた。 ・・なんとその花は、1つ1つが夜の闇の中で僅(わず)かに発光しているようだった。 まるで、ホタルの光のようで・・しかしそれより白っぽく・・鈍くて優しい光。 何と美しい花だろうか。
乳白色で、淡い紫・・藤色の。透けそうな薄い花びらが4枚の、 いつだ?今か?昔か?
花は、2人の前から少しづつ、 もう少しで、記憶から答えを導くことができそうだったのに。 待っていて、ほしかったのに・・・。
・・まるで夢から醒めるように、牧の世界からなくなったあの花。 いつの間にか、夜空に浮かぶ月すらブルームーンではなく・・・ しかも、満月ではなく、三日月に。 そして、雪と見間違えた桜の花びらが、絶え間なく舞っている・・・。
確かに、夢・・・ではなかったはずだ。 ・・・牧は相変わらず眠ったままの藤真を抱きかかえたまま、 しばらくその場に立ちつくしていた。 |