拝啓、夏のよく似合うあなたよ。
あなたにふさわしいこの花を持って、今、会いに行く。
・・・・・・・・・・・・・
その意外な男は、玄関のドアを開けたそこに、
意外なものを持って、当然のように立っていた。
「こんにちは」
「・・こんにちは、じゃないだろ」
「まだこんばんはって時間じゃないですよね?」
「そういうことじゃなくて」
「じゃなくて?」
「どういうこと?おまえがうちに来るなんて」
「藤真さん、有名人だから住所って調べようとすれば簡単にわかっちゃった」
「・・ほぉ。まぁ、住所がわかったとして、だ。
何故お前が、仙道彰が、我が家に来る?」
こいつと最後に会ったのは、インターハイ予選で。
そこでこいつら陵南に、俺たち翔陽が勝ったワケで。
それで翔陽がインターハイに行けたワケで。
つい数日前まではその会場で試合をしていたワケで。
・・そこで、俺は・・・。
思わず、左のこめかみに手が行きそうになったのを、押し止める。
だが、包帯は今も自分の頭に仰々しく巻かれているに違いないワケで。
こいつの目に止まらないはずがない。
むしろ、それを知っていて?
「わ。名前覚えてくれてたんだ~嬉しいな」
「は?バカにしてんのか。対戦しただろ、仙道。そのくらいの記憶力はある」
しかも、例え忘れようとしたとしても忘れられないくらい、
そのプレイは強烈だった。敵としては、猛烈に嫌な野郎だ。
「いや、せんどう、の方じゃなくて・・名字の方じゃなくて名前の方。あきら、って」
「あ?」
「下の名前まで覚えてくれてるって、光栄だなぁ、藤真健司さんに」
「・・ウチまでわざわざ、その冗談披露するために来たのか?」
「違いますよ。これ、お見舞い。渡したくて」
「・・なんのお見舞い?残暑お見舞い?」
意地悪に、意地になって、問う。
「ケガのお見舞いのつもりだったけど・・まぁ、それならそれでも」
「何でもいいのかよ」
「俺の思ってることは1つだけどね。
藤真さんがそういう風に解釈するなら、それもありかなって」
「いい加減なやつめ」
「解釈は、真実は、人が思う数だけあるでしょ?」
「馬鹿か。真実は1つだろ」
「それで済めば楽なんだけどね」
「・・お前の口からそういう類の言葉が出るとは思わなかったな」
「えーっと、どういう?」
「説明するのが面倒だからいい・・ところで、これはなんだ」
「だからお見舞い」
「じゃなくて!おかしいだろ」
やつが抱えていたのは、かなり大きめの鉢植え。添え木なんかもしてある。
しかも、蕾と思われる数センチの2つの塊は、
すでに枯れたようで下を向いて垂れ下っている。
「月下美人ですよ。知ってますか?」
「花の種類のことを言ってるんじゃない」
「美人って言うのが、あなたにぴったりでしょ?」
「そんなことはどうでもいい!」
「男が男に花もらっても嬉しくないって?」
「それもあるが、それ以上に!常識で考えろ!」
「・・鉢植えだから?」
「ああそうだ!鉢植えは 根が生える 長引く から病人には贈らないだろフツー!
お前、わかってて持ってきやがったな」
「でも、藤真さん病人じゃないでしょ。ケガ人でしょ」
「一緒のことだ!馬鹿野郎!!嫌がらせなら帰りやがれ!」
「・・そんなこと言うんだ?」
「あ?」
「本当にそう思うの?藤真さん」
「何だと?」
「嫌がらせのためだけに、俺がこれ持って、わざわざここまで来たと思うの?
俺、そんなに暇人に・・考えなしに思われてるんだ」
「・・違うのか?じゃあなんだよ。おまけにその花、枯れてるじゃないか」
「俺が思ってる真実は1つだけど。それだけが俺の中では真実だけど、それは置いといて。
藤真さんは、どうしたい?・・どう解釈、したいですか?」
「え?」
「藤真さんはさ、どう思うの?この鉢植え。本当にただの嫌がらせだと思うの?
そんなはずないんです。違うんですよ。じゃあ、何だと思う?何だと思いたい?」
「何なんだよお前・・」
仙道彰。他校の1年。
お互いバスケをやってて、1カ月程前に敵同士で試合をした。インターハイ予選だ。
確かにお前は凄かった。悔しいが、そのプレイに目を奪われたと言っても過言ではなく、お前は衝撃そのものだった。だが、それはバスケでの話で。
プライベートの絡みなど、何も無かったのに。
それが突然家に来たと思ったら、枯れかかっている月下美人の鉢植えをお見舞いと称して渡そうとしてくるわ、しかもこれをどう解釈するのかと問うてくるわ。
新手の嫌がらせかとも思ったが・・どうも、この男はそんな辛気臭いことに興味も時間も費やさない気がする。きっとそうだろう。
俺たちが試合に勝ったと言うだけでどうこう言う、器の小さいやつにも思えない。
・・それより何より、俺たちは嫌い合う程、お互いのことを知らないのだ。
俺は訝しげに鉢植えに目をやった。
彼が差し出してくる『月下美人』。垂れさがる萎れた蕾が痛々しい。
だが、それを覆う緑の葉っぱは、みずみずしく生い茂っている。
・・何故だか悲しくなった。左のこめかみがうずく。
まだ、葉があるのに。土の下には、立派に張り巡らせた根もあるに違いないのに。
花がない。ただそれだけの事実で。
目を覆いたくなるその理由。
俺は、それに必死で気付かないフリをする。
花がない。ただそれだけの事実で。
周りから黙殺されることを、俺は知っている。
ちくしょう。なんでこの男が、こんなことを。
こんなよく知りもしない他校の1年の前で、弱みを見せるワケにはいかない。
誰にも見せないようにしてきた、見せられないでいた感情を。こんな男の前で。
・・口角を良い形に持ち上げていたその男が、優しい低音で話しだす。
「月下美人ってね、一晩で萎んじゃうんですよ」
「・・ああ。その、萎んだ蕾がそれだろう」
「はい。それにね、1年に1度しか咲かないって言われてる」
「それも、聞いたことがある」
「だけどね、それは間違った認識で。真実は違うんです」
「そうなのか?」
「本当は株に体力・・元気があれば、年に3、4回も咲くこともできるんです」
「・・本当か?」
「ええ。それに見て下さい・・ここ」
「あ」
萎れた蕾の対極に、もう1つ、まだ閉じられて上を向いている蕾があった。
「これ、たぶん今晩か、明日の夜に咲くと思うんですよね」
何が言いたい。
仙道、お前は。俺に、何が伝えたい。
お前の思っているたった1つの真実は何だ。
お前が全然言出さないから、このままでは俺は勝手に
自分の良いように解釈してしまうだろ。
俺の感情が・・勝手に。都合の良いように。
「周りが・・・」
「え?」
「周りのせいにはしたくないけどっ、でも」
「でも?」
周りのせいにはしたくなかった。本当だ。
不運も、過敏な反応も、コントロール不能な感情も、自分のせいだと、理解はしている。
それでも。
それでも、それを全部自分のせいだと言い切れる程俺は大人ではなかったし、
周りを完全に無視してやりたいように出来るほど協調性に欠けているわけでもなく、また、やり通せる程強いわけでもなかった。
人間としてこの地球という社会的な土壌に生きる限り、環境の影響や他人からの視線や圧力を否が応でも感じて反応してしまう。
むしろ、そこからのプレッシャーや期待を受け止めて、それに出来る限り答えたいとも思っていたし、答えられるようになろうとも思っていた。
今、与えられた場所で咲くのが、自分の役割だと思っていた。
咲かなくてはいけないと努力して、必死で、がむしゃらにやってきた。
それ故に自分が咲いたことすら、周りから指摘されるまで、騒がれるまで気付かなかった。
褒めたたえられて、自分自身が咲いていることをやっと自覚したのだ。
ただただ、夢中だったから。花は、自分が咲く理由など考えないのだ。
気付かないくらい必死に、俺は咲いたのに。それなのに。
「周りがっ・・、俺に、頑張れと・・もっと、もっと・・って。
期待されて、夢見られてっ!ワケわかんない嫉妬もっ嫌がらせも山ほどされてっ・・!
それでも・・大きく咲けと言われて、綺麗に咲けと言われ続けてっ、
俺はそいつらのためなんかじゃなく、ああ・・それも少しはあったかもしれないけど・・でも、それより何よりただ咲きたくて、必死に努力して、咲いたのにっ・・
咲いたら咲いたで、派手に思われて、散々愛でられて、下品に賞賛されて。
それから・・・!!俺が欲しいのは、全然そんなものじゃなかったのにっ!」
「・・はい」
「ケガしたら・・負けたらっ、呆気なく散ってしまった、って。萎んでしまったって・・
みんな、憐れんで。失望してっ!それから、見向きもしなくなって・・無関心に・・
もう、誰も何も言わなくなって・・・忘れるみたいにっ勝手に終わらせる!
まだ、終わってないのにっ・・俺の気持ちも何もかも・・まだ、まだ」
「はい」
「俺は・・俺はっ!ただバスケが好きで、ただ勝ちたくて、強くなりたくて。
毎日毎日ただただ・・・っ俺はっっ」
それこそ土に植わったその時から。
重たい土を押し上げて地上に出て。
灼熱の太陽に焼かれないように、打ち勝って、栄養をもらって。
雨の日も、風の日も。
ただ上へ。倒れないように。必死で茎や葉を伸ばしてきた。
「・・あるのにね」
「えっ・・?」
「花がなくなっても、まだ、葉も根もそこにあるのにね。花は、根がさかせてるのにね」
「・・・お前がっ」
「え?」
「お前がそれを言うなっ・・」
泣いてしまうだろ。
いや、俺は・・もう泣いている。
ずっと泣けなかった。
泣いてはいけないと思ってたし、泣く元気もなかった。
なのに、俺は今・・仙道の前で。
「何でお前には・・わかるんだ、俺の気持ちが・・」
「いや、わからないよ。わかってあげたいけど。あなたの気持ちはあなたにしか」
「でも、お前は・・」
「負けたらわかることって、あるから」
「え・・?」
「俺も、あなたに負けたから。あ、あなたにだけじゃないけど。でも、
そうしてわかることも、あったから」
あの試合の後のことを微かに思い出してみる。
あの時のお前は・・そんなに悔しそうには見えなかった。
何人か負けて泣いているやつもいたけど、そうする様子もまったくなかった。
そんな、お前なのに。
お前は、わかっている。
花は、根が咲かせているのを。
人は、それを身勝手に切ったり、傷つけたり、折ったりするけれど。
そして花がなくなった途端に、根にも葉にも茎にも幹にも、見向きもしないけれど。
でも、お前は。
「花が咲いている間しか幸せじゃなかったら、辛くないですか?
ほとんど幸せじゃないことになる」
「それ、は・・辛い」
「今、花が咲いてなくてもこれは月下美人。違いますか?」
「違わない・・」
「あなたは自分自身だから、外からあなたを見られないから、不安になる」
「・・何、ソレ」
「だから、わからないかもしれないけど、外からちゃんと見えてるから。見てるから。
周りの人もあなたを見てるけど、距離の取り方がわからないだけなんだ。
認識が、解釈が、真実の観点がちょっとずれてしまっているだけなんだ」
「意外に・・よく喋んだな、お前って・・」
「俺、気になる人の前ではお喋りになるタイプなんですよ。
・・あなたのこと、ピントずらさずしっかり見てますから。
俺の解釈する真実で。見逃さないから」
「冗談も・・小難しいことも、言うし・・」
「冗談言ったつもりはないんだけどなぁ」
「笑えるくらい・・ひどい冗談」
「ちょっとは、好きになりましたか?」
「はぁ?」
「俺のこと」
「馬鹿・・ヘン、な口説き文句だなって思って、呆れて・・聞いてた」
「わっ、ヒドいなぁ」
「随分陳腐だぞ・・」
泣きながら強がりを言う俺に、仙道は笑って言った。
「俺はただ、花を咲かせた根を褒めたいだけです」
止まらない涙を手のひらでむちゃくちゃに拭っている俺を
優しい眼差しで受け止めて。
「ね。この花の花言葉知ってます?」
「知るワケ・・ないだろ。お前って、乙女趣味なやつ・・だな」
しゃくり上げながらも反抗する俺に、やつは苦笑する。
「ただ1度の恋、真実の時、って意味なんです」
ただ1度の恋、真実の時。
涙で飽和状態の頭の中で反芻する。
本当に、そのままにとってしまいそうだ。
久しぶりの涙雨。カラカラに乾いた心に降り注いで、気持ち良すぎて。
すべて、吸収してしまいそう。
「たくさん泣いて・・少しはスッキリした?
雨の日って、植物には重要な日でしょ」
そんな、太陽みたいな笑顔で笑うな。
そして、俺の目を真剣な眼差しで射抜いて、
「何度だって咲けるよ。藤真さん。それが真実です」
他の花になることができるはずもなく、
根をはった場所から逃げることも叶わなくて。
周りから、追い込まれていると、攻め立てられていると感じて。
でも、そんな時は
真実を思い出して。
雨を待ちわびた日の、気の遠くなるような懇願を。
初めて地上に芽を出した日の、震えるような感動を。
風の日を耐え忍んだ、我慢強さを。
蕾の灯を燈した時の、希望の眩しさを。
そしてついに花を咲かせた日の、誇らしさを。
・・その花を咲かせた根の、たくましさを。
根があれば、力があれば、
何度も何度でも、咲くことができることを。
「・・まぁ、何度も咲かせるには世話が大変だけど。やるしかないんです」
そう言いながら蕾をつっついている仙道の腕から、
俺は月下美人の鉢植えを抱え込むように奪い取った。
そんな俺に、彼が目を丸くする。
「今晩か、明日か・・咲くんだろ・・・これ」
「・・ああ、ええ。たぶん」
「俺と一緒に・・見届けろ。見逃さ、ないんだろ?」
背中を向けてそう言い放った俺に、仙道の
「ええ、喜んで」
という声が、心地よく届いた。
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夏のよく似合うあなたよ。
これからあなたは、何度も咲けるだろう。
根の強さを、真実の誇らしさを知ったあなたなら。
花を咲かせた根を褒めて。
敬具
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*BGM ASIAN KUNG-FU GENERATION アルバム・ランドマーク アネモネの咲く春に
*場所 京都 知恩院 濡髪大明神 「花を咲かせた根を褒めよ」
前に思いついていた話ですが
今日の久しぶりにアンニュイな心情だったら書けると思い。2時間書き。
藤真・高校2年生、仙道・高校1年生のインターハイ直後の話です。
2013.02.06
(お手数ですが、ブラウザでお戻り願います)
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